mixiユーザー(id:5691043)

2019年12月16日04:22

111 view

PCクラッシュ!!・・・バーンスタイン&ラトル、シュワルツコップ、無限・・・

PC騒動
先月購入したプリンター(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973730800&owner_id=5691043)を、古いコンピュータと共用できるようにと、新プリンター用ドライバーを旧PCのWINDOWS 7にインストールしようとしたら、手順中に”リセットせよ”と言ってきたのでリセットした。するとPCがウンともスンとも言わなくなってハングアップ状態になった。しかたが無いので一旦強制的に電源オフにしたうえで再度立ち上げてみると、”正常終了しなかったのでハードディスクをチェックする”・・・と言って延々と自動でチェックし始めた。画面を見ているとどうも各ファイルのセキュリティIDをデフォルトに戻す・・・と言う作業をしているらしい。どうやら、リセット時にHDの各ファイルのIDを(勝手に!)書き換えてハングアップしたらしい(原因不明!)。で、結局3時間ほどかかってHD上の全てのファイルのIDを書き換えた挙句に、ようやく再起動したかと思いきや・・・・今度はWINDOWS 7の立ち上げ途中でやはりハングアップする。どうも、セキュリティIDを勝手に書き換えて余計に事態を悪くしてしまったようである。
幸い、私の古いコンピュータはXPと7のデュアルOSにしてあるので、 PCをXPで立ち上げてみると、ほぼ支障なく立ち上がったので、XP上から7をインストールしてあるHDを見てみると、ファイル類はほぼ残っているように見えてHDのハード自身はどうやら壊れてはいないらしい。・・・・が、WINDOWS 7のシステム・ファイルの内容に幾つか異常があるらしい・・・・こうなると、膨大なシステム関係のファイルやらパラメータ設定がどこまで破壊されているのか判らない。しかたが無いので、9月に取っていたバックアップからHD全体を修復することにした。・・・・で、レストア・ソフトでシステム全体の回復・書き換えを行ってみると、いつもなら数時間で終わるレストア作業が今回は何故か偉い時間を食う(原因不明)・・・・で、結局、修復完了に24時間強かかってしまった。
終了後、オッカナビックリWINDOWS 7を立ち上げてみると、問題なく起動するように回復している。再度(リセットなど軽々にしないよう慎重に)プリンタ・ドライバーをインストールしてみたら、アラ不思議、今回は何の問題も無く作業終了・・・・プリンタも正常に作動。・・・・・という訳で、結果は良かったのだが、ここ二日ほどの不調は何だったのか、その原因は解らないままである。まあ、WINDOWS 7も来年の1月でサポートも切れる、という事でアレコレいい加減になっているのかもしれない。私は都合で旧XPも7もまだ維持しておくつもりだが、自己責任でヤレ・・・という事らしい。

音楽
先日、ベルリンフィルのDigital Concert-hallで録画したラトルのマーラー:交響曲第2番「復活」を観始めたら、何故かバーンスタインの演奏を観てみたくなった・・・・で、随分以前TVで放映されたバーンスタインの第2の録画を取り出して観(聴)てみた。ロンドンフィル、アームストロング、ベイカーという共演陣で、1973年英国の教会でのライブ録画・・・とある。
改めて4:3の古めかしい録画画面見てみると、もうこの録音から半世紀近く経つのかぁ〜、という感慨と共に、バーンスタインらしい”熱い”演奏の”時代”というものを感じる・・・・そう言えば確かに、良し悪しはともかくコウいう時代だった。バーンスタインが”古き!!”米国を出て”新天地!!”ヨーロッパに活動拠点を移した時代でもある。厳めしい教会と言う特殊な場所で演奏される”復活”は格別の存在感があって、バーンスタインの熱血の指揮ぶりを見るににつけ、つくづくこの時代が音楽界の”英雄”の時代だった・・・と思う。マーラーはクラシック界では未だ”新しい”音楽であり、その演奏は新しい世界を創り出す創造行為であり、バーンスタインはその伝道の最先端を切り開く”英雄”だった時代だった。
そう思って、新しいラトルの「復活」をもう一度観直してみると、現代と言う時代は演奏を彫琢する”職人”の時代なのだと思う。ソレは決して必ずしも悪い意味ではなく、現代と言う時代が既に確立し定着したマーラーを彫琢する時代であり、ラトルはその先端を行く名人職人なのだと思う・・・・ベルリン・フィルはそういう名人が使いこなすに相応しい超精密・洗練され尽くした道具だと言える。
今両者を比較しながら観直してみると、音楽にとって何方が幸せな時代だったろうか?・・・・と言う愚にもつかないことを考えたりしてしまいそうになるが、恐らく、こんな愚問には答えなぞ無く、どちらの時代も幸福でもあり・・・勿論不幸でもあったのだろうと思う・・・・それは、音楽に限らず人間世界全般と同じように、当時にも条理も不条理もあり、ソレは現代も同様・・・・という事なのだろう。
クラシック音楽もまた”世に連れ”・・・世相を反映する。

手持ちの音源をハードディスクに移す作業も、ユックリのんびりだが継続中。
ついでに、古い音源を再度聞く機会にもなってちょうどよい。そんな中で今週印象深かったのは、シュワルツコップのオペレッタ録音・・・
 
シュワルツコップは1950年代に一連のオペレッタを録音している。
  シュトラウス II:「こうもり」、「ウイーン気質」、「ヴェニスの夜」、
  レハール:「メリーウィドウ」、「微笑みの国」
  オペレッタ・アリア集
当時すでにドイツ・ソプラノのトップにあったシュワルツコップがオペレッタの録音をこれほど集中的にしたということ自体が興味深いが、彼女の歌は今聞いても”絶品”と言う少々口幅ったい褒め言葉がピッタリくる。決して軽薄でも、重々しくも、下品でも(更に言えば上品でさえも)無い唯一無二のオペレッタの歌唱だと思う。
こう言った録音が盛んにおこなわれた背景には、この時代の影響もあったのではないかと思う、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス・・・と言った”ドイツ”伝統のクラシックの聖なる系譜に未だ”ナチス・ドイツ”の陰惨な影が残っていた時代、明るく健全なドイツ・クラシックは必要でもあり有用でもあったのだろうと思う。多くのトップ歌手がオペレッタ録音を行っている中でも、これらシュワルツコップの参加したオペレッタ録音は今も独特の(そして恐らく最上の)輝きがある。

読書
「無限」(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973730800&owner_id=5691043)・・・・ようやく最終章に入った。本書における20世紀以降の「無限」についての歴史は主としてウィトゲンシュタインの思想を中心に語られるが、どうやら”無限”は言表不可能なものとして認識されているという・・・要するに、無限を定義したり理解したり言葉によって表現しようとすると”必然的に!”矛盾を生じるという。何故なら、語る、表現する、理解する・・・・と言ったことが、それ自体無限を有限化することであり、”真の”無限はスルリとそれらの言表からすり抜けてしまう。なんとも、味気ないというか拍子抜けと言うか、救いのない(勿論”仮説的な”)結論だが、その意味でゼノンの逆理も未だに解決されたとは言えない・・・・と言うのは、私としては何故か嬉しくなるところもある。無限を巡ってア〜でもないコ〜でもないと考えを巡らせて結局何も解決できずに堂々巡りをする人間の様は情けなくもあるが、その堂々巡りの中から(極わずかだが)何か認識における進歩があるようにも感じるのは、思考・思想の醍醐味(で且つ恐らく自己満足)でもあって、そこに救いがない訳ではない。

1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年12月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記

もっと見る