mixiユーザー(id:5691043)

2019年12月10日18:21

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最近の自動車は・・・・

 私は結局生涯自動車の運転免許は取らずにこの歳になった。「免許は取らぬ・・・」と固く決心していた・・・という訳では無くて、生来のグウタラ性のせいもあって偶々成り行きで取らなかっただけの話なのだけれど、よくよく自分の性格を考えてみると、高速道路などで無暗に抜いてくる自動車などあればカッと頭に血が上って抜き返しに掛かりかねない様な危なっかしいところも私にはあるので、まあ、取ら(れ)なくて良かった・・・・とも今は思う。
それでも、”車”自身には興味・関心はあって、国内外を問わず車の性能・傾向などアレコレ車の雑誌を見たり、街で新型車など見かけると”オッ”と思って見ることもよくあった。しかし、最近は流石に当方の情報処理能力が堕ちてきたことなどもあって次から次へと出る新車を見分けることへの興味は薄れてきた。
しかし、それにしても最近の自動車のデザインにはどうも納得がいかないことも多い。なんでも、わが国大手自動車会社のデザインなどは歌舞伎とか京劇の隈取を模しているんだそうである。人間の顔の造形を強調する隈取は、ある意味で遠目にもハッキリ見えて存在感をアピールする効果は確かにあるんだろうと思うけれど、ソレを支えるバック・様式・伝統のある歌舞伎や京劇の隈取ではともかく、ソレの無い自動車の顔のデザインとしては、タダタダ存在感を強調するため”ダケ”の隈取は、寧ろ中身が無い割に面だけデカくて”目立ちゃイイのサ!”と言う現代の軽薄の風潮を現しているだけの様でどうも私にはなじめない。特に、最近多いワンボックス・カーにもこの歌舞伎顔の面構えのものが有るけれど、エンジンルームが無くて元々ノッペリした面にこの隈取デザインを施すと、寧ろ個性の無いただのこけおどしの馬鹿面に見えてしまう。
もう少し、自動車と言う”機械”の機能性を考慮し(表現し)た、合理的・機能的デザインと言うのは無いのかしら・・・・と思ってしまうのは、まあ私の感性も時代遅れになった・・・と言う証かもしれないし、第一、免許も持たず自動車を買う訳でもない私がコンなことを言うのは、確かに余計なお世話のコンコンチキに違いないけれど・・・・。

今回、Berlin Phil. Digital Concert-Hallで聴いた演奏(https://mixi.jp/home.pl#!/diary/5691043/1973730800)の中で、改めて聞き直して格別だった演奏(チクルス)の一つ、

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1〜5番、内田光子、pn、ベルリンフィル/ラトル

ベートーヴェンの協奏曲ともなると、すでに演奏は星の数ほどある。実際そのなかに”いい”演奏も数えきれないほどある。所謂”巨匠”の演奏から、身の丈に合った親しみ易い演奏に至る幅広い選択が可能になった今日、我々はソウいった多様な録音の中からそれぞれ聴く者の好みに従って選んで聴くことが出来る、という贅沢を享受する時代になっている。しかし、そういった時代は、ともすれば演奏家にとって”クラシック”という制約の中にあって、独自の個性を発揮し表現する幅が狭まることを意味しかねない時代…とも言える。
そう言った時代に有って、”いい”演奏と言うものの個性が、精密ミニチュア・モデルのような精度の追求であったり、ピリオド演奏等にありがちな道具立てへの依存であったり、奇矯さと区別の付きがたい”新しさ”の試みであったり、あるいはクラシックと雖も消費音楽と割り切る一種の思い切りの良さであったり、・・・・と言った危険を避けて、なお独自の存在感を示すことはとても難しい。
この内田光子さんによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、そういった意味から見ても近年まれにみる充実の演奏記録だと思う(2010年2月に行われた一連のコンサート・ライブ)。第1番から第5番の全ての演奏において、彼女は”個性的”であることを目的とせずとも自然・自発的に個性的であり、なお且つ恣意性や不自然さを感じさせることなく”現代”のベートーヴェンを聴く者に納得させてくれる点で、クラシックという古典が21世紀の現代においてなお存在する意味を十分に示した演奏ともいえると思う。
ラトル/ベルリン・フィルのバックも彼女をバックアップして充実の音楽で応えている(同じベートーヴェンでも交響曲でのピリオドを意識した演奏とは打って変わってオーソドックス)のも素晴らしい。私にとっては、傾向も表情もまったく異なるけれど、バックハウス以来ついに現れた”次の”ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集だった。
内田光子と言う人はデビュー当時から日本人演奏家としては異例と言って良いほど”個性”が際立っていた。その個性は風変りとか異端といったモノでは無くて、寧ろある意味でクラシックの伝統的なバックボーンに支えられたもので、日本人・・・と言うだけでは無くて欧米人を含めても何か確固たる個性を主張し得るものだったように思う・・・・けれども、大いに感心と敬意を払いながらも、私は彼女の演奏を継続して聴き続けるという事はしないで今日まできたが、今回のベートーヴェンでようやく私の中での彼女の居場所を定めた感じがある。

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