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2019年10月16日03:00

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音楽雑感

1)先週、イリーナ・メジューエワのピアノ演奏会に行った。今回の演奏会は珍しくロマン・ロラン研究所の主催・・・・とある。演奏曲目はベートーヴェンのソナタ8番「悲愴」、17番「テンペスト」、9番、26番「告別」・・・の四曲で、途中”ロマン・ロランを巡って〜トークセッション”と言うのも入る。

ロマン・ロラン・・・・すでに色々な意味で”過去の人”になってしまったが、私の文学(及び音楽)経験の中で決して軽い存在ではなかった人でもあった。昔、我が国にも「ロマン・ロラン協会(友の会)」なるものがあったのは覚えているが、今回の演奏会プログラムによると、昔は全国に有ったロマン・ロラン協会も今は京都のソレだけが社団法人として残っているだけなのだそうである(その事実にロランを巡る世界歴史の変遷を感じずにはいられない・・・)。そのロマン・ロラン協会の設立70周年及び来年のベートーヴェン生誕250年、を記念してメジューエワにベートーヴェンの演奏会を依頼して実現したのが今回の演奏会なのだそうである。
演奏会自身は、どの曲もとても素晴らしい演奏だったと思う。必ずしも”現代的”でも”先鋭的”でもないが、ピアノ鍵盤を奥まで踏み込んだうえでロシア流派らしく(?)力強く歌う演奏で、”ベートーヴェンの音楽”の原点を改めて再認識させてくれて、久しぶりにベートーヴェンを新鮮な気持ちで聴くことが出来た。
途中のトークセッションではメージューエワが器用な日本語で、ロマン・ロランのベートーヴェン研究に彼女自身の演奏が影響を受けることは無いけれど、ロランの”文学”は演奏家が”解釈”をする時のインスピレーションを与えてくれること、ロシアにおいても(今も?)ロランは結構読まれていること、今回のプログラムはロランのことを考えながらベートーヴェンのソナタの中から特に”文学的”なものを選んだこと・・・・などを語り、最後に協会所長から最近子供向けに「ジャンクリストフ要約版」を出したので、どうぞよろしく・・・・とちょっと宣伝が加わったのがご愛敬。まあ、多少の協会へのリップサービスも含まれていたかもしれないが、ロランとロシア(ソヴィエト)の複雑な関係を考えるとき、ロシア人の語るロマン・ロランは私には興味深かった。

そして、ロマン・ロランの理想主義の敗北(?)は、思想史の中における強烈なしっぺ返しでもあったが、”理想”そのものを無意味なものと考えているのではないかしらん・・・と思わず考えてしまう現代にあって、ロランの敗北の意味(意義)はもう一度見直してみる価値がある・・・・そんなことをメジューエワのべ―トーヴェンを聴きながら考えた2時間でもあった。

2)先週、久しぶりにポゴレリッチがDGなどに残したビデオ(その他)などの映像を集中的に観(聴)ていた。DGのビデオはいずれも80年代に、如何にもポゴレリッチらしくヨーロッパの城だとかビラだとか、いささか”コッテリ”した雰囲気を背景に撮られている。そのコッテリした背景はポゴレリッチのコケ脅しにも見えなくもないが、彼独特の現代のマニエリスムの表現とも捉えることもできる。
演奏曲目は、バッハ、スカルラッティ、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、ショパン、スクリャービン、etc. と結構多彩だが、決してシェーンベルクなどは弾きそうにないし、或いはピリオド・ピアノに手を出すこともなさそうに見える、ことなどから多かれ少なかれ彼は”伝統”の中で生きるピアニストと言うことが出来るとも思う・・・・その点、彼がショパン・コンクールで異端・・・と見なされたのは20世紀の音楽観の一端を象徴するものでもあった。
重々しい(そして自由と言う点で軽快な)ポゴレリッチの演奏は、今聴いても素晴らしく今もその録音(録画)の価値は失われていない(・・・・ばかりか、ますます演奏と言う行為の意味を考えさせてくれる点で価値が高まっている)と私には思える。

・・・・しかし、その演奏を観(聴)ながら、私は思わず8月に出たポゴレリッチ20年ぶりの商業録音のことを考えずにはいられなかった(写真)。奥方を失って以来ドロップアウトしていた録音活動から、どういった経緯で再録音に至ったのか私には分からないが、彼がなにか不誠実な動機やいい加減な気持ちで復帰したのではないことは演奏から十分に感じ取れて私はある種安心したのだけれど、同時に彼が何かを喪失しているような気もして敢えてこのCDに関して感想をまとめることを留保(或いは尻込み)していた。今回、久しぶりに彼の30数年前の演奏を観(聴)て、その彼が喪失したもの(の一端)が”若さ”であることを思い知った。ポゴレリッチも今や61才である。”若さ”を失うのは当然ではあり、ソレは演奏家としての欠点になるような事柄でもないことは明らかであり、実際彼の演奏に老化の弛緩とか老いの衰えが現れている訳でもない・・・・にも拘らず、私はポゴレリッチの”若さの喪失”に何か胸の痛みのようなものを感じずにはおれない。彼の喪失が単純に年齢を重ねた事実によるものなのか、奥方の喪失(とその後の録音ドロップアウト)という環境によるものなのか、或いは仮に彼が演奏・録音活動を”正常”に重ねて今日を迎えていれば私が感じた”喪失”観は無かったものか・・・etc.色々思うこともあって、今も結論めいたことは私にも出せていないが、ソレは私自身が老いと付き合う・・・と言うことの一部かもしれないような気もしている。

3)先日、購入したフルトヴェングラー/ストックホルム・フィル演奏集(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1973238226&owner_id=5691043)は色々意外なほど面白かった。ストックホルム・フィルはフルトヴェングラーの手兵でもあったベルリン、ウィーン・フィルに比べると如何にも軽量・弱体で、フルトヴェングラーの録音の中では、必ずしも高い評価を得ていた物でもない。実際昔ベルリンやウィーンとの録音が無く(・・・と当初され)、ストックホルムの録音には有ったベートーヴェンの8番やブラームスのドイツ・レクイエムが、言わばフルトヴェングラー・アーカイブの埋め草として止むを得ず市販されたような体のものであった。私も、当時それらの録音を聴いて何かフルトヴェングラーにしては軽い演奏に感じられて、あまり再々聴くということはしてこなかった録音でもあった。
しかし、今回これらの録音をまとめて聴いてみて、私は改めてこれらの録音にもフルトヴェングラーらしい別の側面を聴けるように思われなかなか興味深かった。昔の私の感想が単に世評に流されて低評価になっていただけのことなのか、或いは私も歳いって昔聴くことが出来なかったものを聴くようになったものなのか良く分からないが、ベートーヴェンの8番などストックホルム・フィルの軽さがむしろ生きて、生き生きした演奏に聞こえて何やらこちらも嬉しくなってくる(フルトヴェングラーではめったにない感覚)。改めて、フルトヴェングラーの「下手なオーケストラと言うものはない・・・あるのは下手な指揮者だけ・・・」と言う警句をおもいだした。

更に、このCDのライナー・ノートがなかな面白かった。例えば、それによるとフルトヴェングラーとストックホルムの付き合いは1920年(ベルリン・フィル首席指揮者になる前)来のものだったそうで、第一次大戦後の疲弊したドイツに比べてストックホルムでの仕事は居心地がよく良い稼ぎにもなったのだそうである・・・・にも関わらずフルトヴェングラーは当地から母に向けて「・・・裕福で幸福だけれど全てを窒息させてしまうこの地より、むしろ征服され枯渇したドイツに住みたいと思う・・・」と書き送っているのだそうである。彼のナチス時代の行動などと併せて考えると、彼の精神世界の一端を改めて感じさせてくれる逸話だと思う。
更に、このライナー・ノートはネストル・カスティリオーネと言う”米国”の音楽評論家が書いていると言うことなのだが、その事実も私にはなかなか興味深い・・・・と言うのも、今年初めに入手したベルリン・フィルのRRG録音集(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970157587&owner_id=5691043)のライナー・ノートも”米国”のリチャード・タラスキンが書いていたからである。
米国はユダヤ人亡命音楽家も多かったこと(及び、恐らく米国本来の文化風土の影響)などもあって、フルトヴェングラーの戦中の振る舞いに対しては殊の外厳しかったことは良く知られている、そのせいか、フルトヴェングラーについては米国文化人は敢えて大声では語らぬ風潮が長らくあったように思われ(勿論、米国にも結構昔からフルトヴェングラー協会などはあったけれど・・・・)、それは実際ナチとの戦場となりその戦禍を最も激しく受けた欧州が早々とフルトヴェングラーの復帰を容認した事実とはある種の対照をなしているようなところもあったように思う。
しかし、(”たまたま”でもあろうが・・・)今年になって”欧州(の原音所有者)”から公開された二つのCDセットのライナー・ノートを両方米国人が(それも否定的或いは肯定的何れの偏見も出来るだけ排する努力を見せて)書いている・・・・と言うのも、私にはフルトヴェングラー史の変遷を感じさせて、とても興味深い。

その他
本日久しぶりに近所の三姉妹登場。我が家でアニメ「かぐや姫」を見、オレンジを食べて6時過ぎ無事御帰宅。

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