■「コロナ解消に戦争」発言の教育長辞任へ 不適切と謝罪
(朝日新聞デジタル - 09月02日 16:20)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6217131
>記・紀の神話内に終末論が無い理由の一つであり、神道に救世・救済思想が無い(歴史学研究会/日本史研究会編 『講座日本史 5 明治維新』 東京大学出版会 10刷1976年(初版70年) p.261.)のも、救世思想が終末論と表裏一体の信仰のためである(従って、カルトによる終末を用いた脅しや集団自殺も存在しない)。
ウィキペディア「言霊」より
日本という国(そもそも、そんな名の国などなかった時代から)は、”文字を持たない文化”だった。故に大切な事は人から人へ口伝されてきた。
青銅器文明を持つスキタイ(黒海沿岸、東イランの騎馬民族)では
https://bit.ly/32OVlHI ”VV”が悪魔を退ける呪いの記号として埋葬の地を表す記号に使われていた時代、(紀元前9〜4世紀)
後年、辺境の島国にも大陸から伝わった象形文字を音や訓に当て字して表記する方法が、ユニバーサル言語の表記法として根付いて、祭祀などの記述が可能になるまでは。
だから、この国では、いまだに「ことだま」という価値観が脈々と受け継がれているのか、誰かが誰かを呪ったり、傷付ける意図で放った言葉は、たとえ実際に危害をくわえなくても、同じ目的を有すると考えられて、言葉を放った本人に、その報いが返ると 信じられているようだ。
だから、”クチは禍(わざわい)の元”にならぬように ゆめゆめ不用意な言葉を、誰でもが見聞きできる場所で述べてはならない、という「暗黙のルール」が踏襲されているようだ、と思った。
言葉という文化を持たない、きょうりゅう🦖🦕には、”生かすも殺すも、言葉次第”の、この文化が たまに怖くてたまらない と思う時がある。
こうして、公人が咎を受けたり、何の罪もない誰かが、本当に命を落としたりする場合だ。
”悪口(あっこう)”や”雑言(ぞうごん)よりは、”可能なかぎり”和言(わごん)”を使って 穏やかに語り掛ける方が、人々の心には響くようだ。
誰かを呪ったり死を願ったところで、そのことにより自分自身が誰かの恨みを買ったり、憎しみを増長させるだけだものな。
オレも、言葉に殺されないように気を付けよう。@@
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