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2021年08月19日00:25

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いじめ問題に関する話

この日記をどれだけの方が読んで下さるのか分かりませんが、いじめが無くなっていかない真の理由を書いて置こうかと思います

いじめが無くならない理由として、一つはいじめの定義が定められていない事です

現在のいじめの定義(仮定)は、本人がいじめを受けていると感じるか否かで決まり、故に実際にはいじめで無い事案まで含まれてしまう為に、的確な対応が出来なくなっているんです

よく無視もいじめの行為の一つに数えられますが、いじめを受けていると言う本人が人から嫌われる言動を繰り返した結果、皆から無視をされているケースも有り
それはいじめによる無視とは違いますから、本人に人に嫌がられる言動をしない様に教える必要が有る訳ですが
このケースと「〇〇と話したら、その人も無視するぞ」と言う様に、特定の人物が他の人間に強要しての集団での無視によるいじめと混同してしまう為に、問題が解決しなくなってしまいます

いじめ以外のどんな問題でも、原因を見つけ出してそれに対して適切な対処をする事で、解決に至るものですから
違った性質のものを一括りにしてしまうのは、大変に問題が有るし解決出来ない結果につながる可能性が高いです

そしてもう一つの原因が、義務教育という物の本当の意味を、教育者でも理解している人が殆ど居ないと言う事です

義務教育の本来の意味は、人が社会に出るにあたって最低限必要な知識や経験を得られる事にあります

これには社会に出て集団行動をする中での人付き合いも含まれ、故に学校では集団行動をする事が多く、クラス単位や時には少人数の班行動もしますよね
もし単純に学力を学ぶだけなら、塾の様に個別指導形式にした方がより効率が良いですし、個々の学力に有った教育が得られる事になる訳で
ここが元来は、義務教育の学校と塾の大きな違いとなる訳です

先に語った無視についても実社会に出た場合、例え個人的に嫌いな相手だとしても仕事仲間となったのなら、その感情を仕事に持ち込むのは間違っていますし
ちゃんとした社会人であるのなら、そういった人間関係の中でも求められる結果を出す必要が有ります

ですから学校の場において、個人的に嫌いな相手に対して休み時間や放課後の一緒に行動する事を強制されない場では、個々で無視する事や仲良くしない事は自由ですが
それが授業中の班行動であったり、相手も自分を一緒に行動する事を強制されている場では、無視するのはいじめになりますし
最初は上手く一緒に行動出来なかったとしても、義務教育の期間中にそれを身につけて行けば良い訳です

実社会では一度致命的なミスを犯せば最悪職を失う事になりますが、義務教育の中では致命的なミスを犯しても再度のチャンスを与えられる方が普通ですし
致命的な事を起こさないように、小さなミスを重ねながら社会に出ても問題ない集団行動を学んでいく事が、義務教育の要素の一つの筈なんです

ところが現在の教育者の多くにはそういった意識が欠けている事が多く、学力の向上一辺倒に傾いているケースも目立ちます
また実社会を知らない教師の方も多いですし、義務教育期間に正しい集団行動を学べずそのまま教師になってしまった方が殆どなので
結果正しい集団行動自体を知らない人達を量産し続ける結果になっていますし、そんな中ではいじめを無くす事も儘ならないのも当然と言えるのかもしれません

ちなみにこの様な学びの場が有れば、中には義務教育中に集団行動は自分には無理だな…と自覚する方も居るでしょうし
そういった場合には、自分で付いていきたいと思える師匠を見つけて、職人として弟子入りしたり
個人で出来る職業を目指したり…と、社会人になってから遅くにその事実に気づく、なんて事も少なくなると思われます
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