■松山秀明「テレビ越しの東京論」2019年12月青土社刊
副題は、“戦後首都の遠視法”。
私は、名古屋郊外で24歳まで生まれ育ち、その後、神戸・宝塚で9年、
岡山に9年住んで、42歳のとき、首都圏の川崎に来た。川崎に2年住み、
現在の東京の住まいに来てから23年になる。
したがって、年賀状をやりとりする友人も、半分以上は西日本の住人
なので、今年の年賀状でも、「2020年は東京五輪ですね」と書いて
あった賀状が、数枚あった。
学生時代までは、東京に来たのは、1回しかなく、就職してからは、
年に数回は、東海道新幹線で東京に来ていたので、通算100回以上、
東海道新幹線に乗っていたことになり、その頃になると、新幹線の
座席で眠ってぱっと起きて窓から景色をみたら、どのあたりを走って
いるか、即座にわかった。
そんな私が、東京に来たわけは、仕事の転勤によってだが、その後、
地方への転勤がないので、ずっと東京に住み続けてきた。
また、日本でテレビ放送が始まったのが1953年で、私の生まれる一年前。
ものごころがついて、しばらくしてから、我が家にもテレビが来て、
それ以来、ずっとテレビを見て過ごしてきたように思う。
そんな私なので、「東京」「テレビ」の二つのキーワードに惹かれて
本書は手に取った。いやぁ、面白かった。
本書の惹句を紹介しますね。
“人には、それぞれの東京がある。
東京に行けばなんでもある。仕事も、モノも、夢も――。”
“なぜ東京だけが特別なのか。戦後日本を生きる人びとが記憶する首都
イメージは、いつどのように形成されたのか。放送局や電波塔の立地、
五輪中継の舞台裏、「編成」の概念や「月9」の誕生、お台場の歴史に
いたるまで。膨大なアーカイブから戦後のテレビ史を丹念に掘り起こし、
そこに見いだされ、演出され、記憶された〈東京〉なるもののかたちをたどる。”
目次と小見出しの抜粋も紹介します。
■序論 東京の語りにくさ
・メディア史的東京論へ
・なぜテレビから東京を論じるのか
■第1章 東京にはすべてがある――〈東京〉措定の時代 一九五〇年代〜六〇年代
1 遠視の誕生
2 初期ドキュメンタリーが描く〈東京〉
3 近代都市・東京を遠視するテレビ
■第2章 遠くへ行きたい――〈東京〉喪失の時代 一九七〇年代〜八〇年代前半
1 遠視の分散
2 テレビが描く近代都市・東京批判
3 東京の不在を遠視するテレビ
■第3章 「お台場」の誕生――〈東京〉自作自演の時代一九八〇年代後半〜九〇年代
1 遠視の変形
2 世界都市・東京の表象
3 恋愛を遠視するテレビ
■第4章 スカイツリーのふもとで――〈東京〉残映の時代 二〇〇〇年代〜一〇年代
1 遠視の終焉
2 テレビが描く東京の格差
3 残映を遠視するテレビ
■結語 東京がテレビを求めた戦後
著者は、1986 年生まれの関西大学の准教授。専門は、メディア論。
著書に『メディアが震えた―テレビ・ラジオと東日本大震災』『新放送論』
『転形期のメディオロジー・1950年代日本の芸術とメディアの再編成』などがある。
戦後の東京のイメージは、テレビによって育まれたという趣旨の主張が、
目から鱗で面白く、戦後の東京史とテレビ史の相関を概観できた。
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