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2020年02月19日09:51

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ホンダ、宗一郎氏の聖域にメス 研究所の四輪を統合

ホンダは18日、子会社の本田技術研究所が持つ四輪車の開発部門をホンダ本体に吸収すると発表した。開発の効率化で採算を改善し、商品力の強化にもつなげる考えだ。ホンダの業績は低迷し、成長戦略を描き切れていない。創業者の本田宗一郎氏らが生み出した技術研究所の四輪車開発という「聖域」にメスを入れ、一段の改革を進められるか正念場となる。

技術研究所は本田宗一郎氏や藤沢武夫氏の発案で1960年に研究開発部門を本体から分社化し、発足した。研究開発部門を別会社にしたのは世界の自動車メーカーでも珍しく、本体の経営から距離を置き、技術者の創意工夫を促す狙いだった。研究開発の要で子会社とはいえグループで聖域視され、ホンダ本体の社長も輩出してきた。

技術研究所はホンダのグローバル化をけん引した。72年に発表した低公害のCVCCエンジンは当時、世界で最も厳しいとされた米国の排ガス規制を初めてクリア。そのエンジンを搭載した「シビック」を米国で発売し、躍進の基礎を築いた。

CVCCを巡っては、当時社長だった宗一郎氏と技術者の間で見解の相違があったが、最終的には技術者が開発に意欲を示した方式に決めた。社内の力学に左右されずに技術で勝負するホンダの文化を醸成した。

今回の組織再編では、デザインなどの一部を除いて、技術研究所の四輪車の開発機能をホンダ本体が引き取る。規模としては技術研究所の売上高(19年3月期で7150億円)の7割強に相当する。約1万4千人の社員の大半が本体に移る。先端技術などの研究は技術研究所が担うが、宗一郎氏らの遺産といえる中核子会社は大幅に規模を縮小することになる。

四輪車の開発を本体と統合せざるを得ないのは四輪車の稼ぐ力が弱いからだ。19年4〜12月期の四輪車の売上高営業利益率は3%。四輪車は研究所の従業員が新モデルの図面を作り、それをもとにホンダ本体の担当者が生産や販売を担う。シビックなどのヒット商品を生む原動力となったが、大企業になる中で非効率な面が目立つようになり、問題意識などのズレも生じるようになった。

例えば、新製品の試作用に技術研究所がつくった金型をホンダ本体が譲り受けるにも別会社のため手続きが煩雑で、本体が同じ物を作ることがあった。グループで技術研究所の発言力は強く、19年8月に発売した軽自動車「N-WGN(エヌワゴン)」を巡るトラブルにもそれは表れている。

オランダの部品会社シャシー・ブレーキ・インターナショナル(CBI)製の電動パーキングブレーキを採用したが、警告灯が異常点灯する不具合が発生。発売直後の9月から20年1月まで生産を停止する事態に追い込まれた。CBI部品の採用を巡っては、慎重姿勢だった購買部門を技術研究所側が押し切る形になったとされる。

19年11月下旬、横浜市内で開かれた全国のホンダ販売会社を集めた年次大会。ホンダの八郷隆弘社長は販社関係者にエヌワゴンを巡る一連の問題を陳謝。「研究所と購買の連携に問題があった」とこぼしていた。

二輪車は既に19年に本体と技術研究所の開発部門を統合している。二輪車の利益率は直近で14%を確保し、減収でもコスト削減などで採算維持の効果が出ているとみる。四輪車でも研究開発を見直し、コストを減らす。

ただ詳細は今後詰める見通しで、現時点で統合後の戦略は描き切れていない。ホンダ関係者は「指揮系統の一本化で効率化は進むかもしれないが、魅力あるヒット商品につながるかは疑問」と話す。目先の収益にとらわれ「ホンダらしさが失われる」と声も聞かれる。

八郷氏は15年の社長就任後、英国やトルコの生産工場の閉鎖を決めるなど世界で余剰生産能力の整理に動き、車種数の削減にも取り組んできた。今回の組織再編も採算悪化に歯止めをかける「止血」にはなるかもしれないが「肝心の成長戦略が描けていない」(アナリスト)。自動運転などを使うサービスも本体と技術研究所の部門を統合し、新会社を設立する。

自動車業界は「100年に1度の変革期」と言われるなか、ホンダの業績や株価は低迷が続く。取締役を含む役員を40人から21人(6月時点の見通し)に減らし、意思決定のスピードをあげる。ホンダの社長任期は6年が慣例とされる。就任5年となる八郷氏にとっても、今回の組織再編は節目になるかもしれない。
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