石造りの建物が軒を連ね、その間に延々と張り巡らされる石畳の道路。
そして道路の集合場所。大きなロータリー交差点のある一角に赤い軒先テントが目印のカフェが一つある。
するとそこに親子ほどの年齢差を感じさせる男女が外に置いてある丸テーブルには見向きもせずに店内へと入っていく。
「いらっしゃい」
老齢なカフェの制服を着こなす男性がカウンターで微笑んで出迎える中、二人は奥の方にあるテーブル席まで進む。
二人が座るとすぐさまウェイトレスが駆け寄りメモ帳を取り出す。
「コーヒー」
「私も」
「かしこまりました」
メモ帳に注文を書き留め、ウェイトレスはカウンターの方へと向かう。
「リリーナの所へ行こうと思う」
「え?」
そのいきなりの言葉にミアは疑問符が浮かんだが、少しうつむくと一つうなずく。
「じゃあ私も――」
「駄目だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おまたせしました」
するとウェイトレスがテーブルにコーヒーを二つ置いてすぐに立ち去る。
ケイジはすぐにカップの取っ手を持ってその芳醇な香り漂うコーヒーを口にする。
「俺はリリーナの事が心配だ。ルーファスも付いているだろう。二人共心配なんだ。あんな、大義名分を並べただけの――人殺しが容認される世界だ。だからこそ、お前を連れては行けない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ミアは未だうつむいたまま、ケイジの話を聞く。
「お前がどれだけの事を知っているかは知らない。だがな、あんな世界は人の死に方じゃないし、人の生き方じゃないんだ」
「えーーせーーへーーーーーい!!」
フードからボロボロと大粒の涙を流して泣き崩れる男は腕に軍服が血塗れの男を抱える。
「えーーせーーへーーーーーい!!」
「うぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そしてその叫び声に目を覚まし、頭を抱えて起き上がるもう一人のフード姿の女。
「もう死んでる」
「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
その声に再度血塗れの男を見ると、ぐしゃぐしゃに嗚咽する顔から涙がピタリと止まった。
抱える男は、一瞬たりとも瞬きをすることなく、ただただ見開いた瞳の中は真っ黒に染まっていた。
「ルーファス! 行くわよ!」
腕に抱えた男をドロドロの地面に横たえ、四肢に力が入らないのかふらふらと立ち上がる。
「さっきまで――さっきまで普通に話してたのに・・・・・・・・・・・・話してたんだ・・・・・・・・・・・・・・・」
「早くしな――ルーファスッ!!」
塹壕の角、ルーファスの更に背後からするりと出てきた軍服の違う男はリリーナと目が合った。
認識はした。
敵だと認識した。
しかし、両腕に抱える小銃を構えてルーファスを避けて背後の敵に当てるという行為に――
躊躇いがあった。
「うっ!」
リリーナの真横をつんざき鳴り響いた高音と同時に敵は倒れた。
するとリリーナの背後を人が通ると何が起きたのか未だ分からず呆然としているルーファスに近寄り、有無も言わさず首根っこを掴んで屈ませるとそのまま走り出す。
「何をやってる! 行くぞ!」
「何があったの?」
「分からん。だが、どこも死体だらけだ。一旦ここから出て指示を仰ぐ」
未だ、空から轟く炸裂音はどこからともなく湧いて響き、慣れないその音にリリーナは顔をしかめる。
グネグネと曲りくねる塹壕の迷路は進んでいるかも分からなくなりそうな程延々と続き、しかし空から轟く炸裂音は確かに遠のいていた。
「はぁ――はぁ――はぁ――」
「こっちだ!」
塹壕の深さが徐々になくなり、地面と同じ高さになる。
塹壕の出口だった。しかしつい数時間前に通った場所。
手招きする兵士に近づくと大声を上げる。
「三キロ北に防御陣地を構築する! そこまで撤退だ! 行けぇ!」
「了解!」
はっきり答えたのはリリーナと男のみ。
ルーファスは息を上げて口を動かす程度で何を言っているかなど判別は出来なかった。
しかし彼女らがまた走り出すとルーファスは上がる息を整えてそれに付いていくしかなかった。
防御陣地。そう言われて向かった先にあったのは森。
木々を掻き分け、躓くことなく走ると木々の間から川が見えた。
「止まれぇい!!」
その大声と共に川の方向から銃口を向けられる。
「階級と所属はッ!?」
「はっ、第三中隊所属、カミル・ハーバー軍曹であります!」
「第三中隊は橋の防衛だ。行けぇ!」
「はっ!」
敬礼して命令を下され、ありがとうの一つも言えないまま彼はそのまま走り去っていく。
「次ぃ!」
「第七中隊所属、リリーナ・ニコラエヴナ・カタリニコヴァ大尉」
「同じく第七中隊所属、ルーファス・バーレイ少尉であります・・・・・・・・・」
リリーナは外套から腕を出して敬礼し、真っ直ぐにその男を見るも、ルーファスは怖気づいているのか、目が泳いでいた。
「・・・・・・・・・・・・階級章を――」
怪訝な表情ながら、一応の上司に対して男は声量を抑えて尋ねるとすかさずリリーナは首まで留めた外套のボタンを外して襟章を見せる。
「大変失礼した。第七中隊は本部への召集命令があるのでそちらに――」
「分かったわ。ありがとう」
たどたどしく喋る男にリリーナは話を切って歩を進め、それに肩を丸めたルーファスが後を追う。
「隊長」
「なんだ?」
するとその男にすかさず近寄ったのは彼の部下だろう。
「第七中隊は欠番のはずでは?」
「この戦線から使われるようになった。あまり詮索するな」
彼らはリリーナ達の後ろ姿をジーッと見つめ、隊長を呼ばれた男は懐から煙草を取り出して咥える。
「配置に戻れ!」
川に架かった橋を通り、その奥にある塹壕はスコップを片手に兵士達が汗水垂らして掘っている最中だった。
彼女らはその塹壕に下りるとリリーナが辺りを見回す。
「本部に行かないのか?」
そのルーファスの声が届いているのか、リリーナは受け答えもせず、何かを見つけたようにある方向へと歩き出す。
歩く最中、彼女はコップとそれに注がれるコーヒーを手に入れ、真っ黒なススが至るところにこびり付いてうずくまる男に近づく。
「コーヒーよ」
その声にむくりと顔を上げて差し出されたコーヒーを無言で掴む。
「あなた、あそこにいた兵士よね?」
「その話ならもうした」
小刻みに震える手で溢れそうになりながらも口に運ぶ。
「ごめんなさい。でも、私達にもそれをもう一度話してもらえないかしら?」
まっ黒焦げの兵士と同じ目線にするため、リリーナも屈んで彼の目を見る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれは、波だ。炎の波・・・・・・・・・空が見えなくなるぐらい大きい」
男の持つカップが大きく震え出し、息が荒くなる。
「後方の砲兵陣地まで伸びて・・・・・・・・・・・・全部――全部飲み込みやがったッ」
頭を抑え、瞳から溢れ出す涙を拭うこともせず彼は話しを進める。
「落ちてきたんだ! 炎が全部ッ! 塹壕なんて意味ねぇ! 隅々まで燃やしてんだッ」
「その炎が被らない隣に居た俺達でも滅茶苦茶人が死んだのに、どうしてあんたは・・・・・・・・・」
ルーファスの言葉に、彼はまた頭をうつむかせる。
「水だ。外套に水ぶっかけて逃げただけだ。と言っても俺も端の方だったからな」
「!?」
空が橙色に輝く。
照明弾でも焚いた様に眩しく。
全ての兵士がその光景を唖然と見ていた。
「あぁ――ああぁ――来た・・・・・・・・・・・・来たッ・・・・・・・・・早く、早くッ! 早く!!」
片手に持ったコーヒーをドボドボと垂れ流して最後には空のカップすら投げ出して、一目散に走り出した。
目の前にある鉄橋よりも、その奥で生い茂る木々よりも高く、雲群がる青い空を塗りつぶしてジリジリと後ろへと進み続けるその橙色は、男の言うように炎の波となって自分達を焼き殺そうとしている。
「この炎・・・・・・・・・・・・」
見上げた頭を戻して塹壕から川向こうの森を凝視する。
「!? 貸して!」
「ちょっ――ぐえっ」
ルーファスの首に掛かっている双眼鏡を鷲掴みにすると首に掛かったままリリーナはぶつかる頭など気にせず目に当てる。
覗いた先、木々の隙間にいる人影。
子供の身長ほどしかないが、それが手に持つのは身長を軽々しく超える巨大な影。
「ミリス・ペトロヴナ・ツーリィ・・・・・・・・・ッ!」
双眼鏡を外した彼女の眼は、上空を覆う炎よりも怒り滾っていた。
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