続)
宴会から一夜明け、台風は長野県に来ず、青天でした。
しかし、飯田線は飯田から豊橋方面が不通となっていたので、塩尻駅経由で大阪に帰ることにしました。
忙しいところ、伊那市駅の駅員さん、帰りの経路の相談に乗って頂き有難う御座います。
時間が有るので、田切駅に行こうかと思いました。
台風一過で、青天です。
飯田線はのどかな電車で、飯田線のバラードが頭の中をよぎりました。
田切駅に着くと、昨日お目にかかった、田切ネットワーク様が清掃をされていました。
盆暮れに、田切駅の清掃をされているようです。
ファンのために色々と有難う御座います。
聖地巡礼発祥の地の石碑をまじまじと眺め、此処が聖地巡礼発祥の地だったんだなと改めて感じました。
その後に、昨日、お伺いした、お店に。
過去の巡礼ノートを拝見しました。
1991年には、勿論今のようなネットもツイッターもありませんし、口コミだけだったのでしょう。
聖地巡礼・舞台探訪という言葉がない時代です。
多分、田切駅に行ったら、偶々同じファンが居たということが想像できます。
聖地巡礼発祥の地について、諸説見かけましたが、その頃は、聖地巡礼というものの草創期だったのではないかと考えています。
色々な形の聖地巡礼が有ったのではないかと。
他に作品でも、ファンが何処からともなく訪れ、巡礼ノートに書きこみ・足跡を残して行った結果、巡礼ノートの冊数が増えていきます。
それが聖地巡礼の1つの形として成り立って行き、新作アニメが出ると、ファンが舞台を探訪・巡礼する・集まるというサイクルが自然と出来ていったのではないかと、思いました。
※京都文教大学の片山先生が詳しいです。
帰りの電車が来る時間になったので、田切駅へ。
飯田線が一部不通・倒木の影響で遅れていました。
田切ネットワーク様と雑談しているとやっと電車が来ました。
スピーカーから、「現在、15分遅れで運転しております」といかにもローカルな雰囲気を醸し出して居りました。
光画部が旅に出る時に、東京駅で見送りされるように万歳三唱\(^o^)/を頂きました。
あーるや、光画部の面子が見た光景を自分がやっと追体験でき、念願叶ったなと思いました。
岡谷・塩尻を回って、中央本線で名古屋へ向かいました。
車中で転寝して、停車駅で電車撮影しようとすると、探訪系のさくらいずも―さんとばったり。
暫く雑談。
何処でお目にかかるか分からんものですw
金山駅・米原駅で乗り換えです。
関ケ原〜米原あたりで、関西に戻ってきたんだなと感じるものがあります。
米原がJR東海・西日本の境界というのもありますが、言葉もそうですが、それとなく感じる空気があります。
途中呑んでいましたw
青春18きっぷで帰りましたので、良い時間になり、帰宅して直ぐに銭湯
に向かった次第です。
いい風呂でした。
聖地巡礼発祥の地の除幕式の旅はこのようにして終わりました。
※田切駅でファンの方に頂いた、西園寺ツーリストのバッジです。
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