「民族の誇り」を胸に
海軍少佐 西田 高光 命
昭和二十年五月十一日
神風特別攻撃隊「第五筑波隊」隊員として「爆装零戦」に搭乗、
鹿屋基地を出撃、南西諸島洋上にて戦死
大分県大野郡合川村出身
大分師範学校 海軍第十三期飛行科予備学生
二十二歳
学鷲は一応インテリです。
さう簡単に勝てるなどとは思つていません。
しかし、負けたとしても、そのあとはとどうなるのです…
おわかりでさう。
われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながつていますよ。
さう、民族の誇りに…
[平成十四年四月靖国神社社頭掲示]
西田少佐が出撃二日前の昭和二十年五月九日鹿児島県鹿屋の野里村の基地に於いて、海軍報道班員・山岡荘八の質問
「この戦を果して勝抜けると思っているのかどうか?もし負けても悔いはないのか?今回の心境になるまでにどのような心理の波があったか」
に対して返答したものである。
西田少佐の「講和の条件」という言葉は、あたかも戦後の日本の復興と繁栄を予見、確信するものであった。
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