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2020年09月19日08:49

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2018年版聖書協会共同訳絵で新約聖書「マタイによる福音書」を読んで



照る日曇る日第1467回

旧約を読み終えて新訳に入ると、最初に待ち構えているのがマタイである。そしてマタイはアブラハムからイエス・キリストまでの系図を、物凄い勢いでしゃべりまくる。

すなわち「全部合わせるとアブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロン移住からキロストまで14代である」と、超早口で要約するのであるが、3つのエポックを全部14で区切るなんて、ちょっと待て、ほんまかいなと眉に唾したくなるのは私だけだろうか。

真偽のほどはともかく、ここでマタイがさしたる科学的根拠もなく強調しているのは、メシアたるキリストが、あの創世記のヴアダムとイヴ以来の、万世一系、長大にして格調高いアブラハム一族の、正当にして真正の継子であること。これである。

そしてついに男を知らなかったマリアの腹から、新約聖書の主人公、イエス・キリストが誕生するのであるが、「これらすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」。

つまりここでマタイは、あの膨大な旧約の予言、ユダヤ教の教典を、たった2行で超短い新約、キリスト教の経典へと転轍するのである。
その時、旧約を経て新訳に辿り着いた読者の脳髄に、目が眩むように一挙に呼び戻されるのは、あの何万頁のにも及んだ膨大な旧約の歴史と物語だ。そしてこの時、旧約は前史として死に、死んだ前史は新約として一気に蘇る。

なんという鮮やかなトリックだろう。この路線の切り替えは大成功したが、コーランの読者は、これと同じ老練の手つきが、もういちど頭のいいイスラム教徒によって繰り返されたことを知るだろう。

旧約から新訳への厳粛な歩みは、スメタナのモルダウやドボルジャークの新世界交響曲の新鮮な希望に満ちた大展開にちょっと似ている。マタイ伝と共に我々は、「神話」から「現実」へ、「古代」から一気に我々と同時代の「現代」という空間へと、一挙になだれ込むのである。

   世界にはいろんな国と人がいる空港ピアノで知る世界の今 蝶人

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