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2020年02月28日09:53

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岩波版「定本漱石全集第24巻書簡下」を読んで

照る日曇る日 第1362回

なんとまあ「大文豪!」が毎日毎日律義に手紙を書くことよ。縁もゆかりもない無名の読者に対しても、病苦に悩み執筆に追われて超多忙な中、几帳面に返信しているのには驚くほかはない。

それにしても当時の郵便局はそれらを1日に何回も迅速に配達していたことよ。
「木曜会」の出欠について前日の水曜日の午後の配達で用を足せたんだから、今とは雲泥の差ずら。年毎に行政サービスは悪化しているらしい。

書簡を読んで痛感するのは、当時の漱石が朝日新聞の文芸部門に対して発揮していたスーパー編集者的な手腕。担当の山本笑月をハンドリングしながら、自分が書かない時の作家の提案や掲載条件、ギャラの交渉までやってのけている。

それにしても50歳に満たずに胃潰瘍出血で卒去とは、なんと早死にであったことよ。せめて「明暗」の完結を見たかったが、この未完の遺作の執筆意図について大石泰蔵の糾弾に答える形で詳しく自説を披瀝しているのは良かった。

最晩年の手紙を読む限り、漱石に死の予感も「則天去私?」の心境もさらさらない。その証拠に、それまで「小生」や「私」を主語にしておっとり綴っていた文章が、大正5年8月5日の和辻哲郎宛ての書簡辺りから、若々しい「僕」に突然変わる。

恐らく神戸の若い僧侶(鬼村元成、や芥川ら「新思潮」の作家からの刺激を受けて、新しい人世の展開に余裕を懐きつつ新たな意欲を燃やしていたのだろう。それだけに、猶更突然の死が惜しまれるのである。

京の女将磯田多佳の不実を詰る手紙にもうたれるが、書簡集の白眉は芥川、久米宛の4本の書簡であるが、芥川宛の9月2日、「牛になれ」と励ます8月24日と共に、8月21日の末尾が感動を誘うのは、文と生死と詩が、まるで奇跡のように三位一体になっているからだろう。これが漱石の真価だ。

「私はこんな長い手紙をただ書くのです。永い日が何時迄も続いてどうしても日が暮れないという証拠に書くのです。さういふ心持の中に入っている自分を、君等に紹介する為に書くのです。夫からさういふ心持でいる自分を、自分で味わってみるために書くのです。日は長いのです。四方は蝉の声で埋まっています。」

   熟議なく熟慮もせずに打ち出せり小中高校臨時休校 蝶人

   安倍蚤糞が言うたからというてその通りにやる必要はない 蝶人


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