mixiユーザー(id:5501094)

2019年05月19日08:51

254 view

夢のまた夢

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第72回
蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.311


私が夢日記を残しはじめたのは、2013年の1月3日だから、およそ6年半近く毎日毎晩せっせせっせとメモし続けてきたことになる。

どうしてそういうバカげたようなことを始めたかというと、仏蘭西の詩人、ジェラール・ネルヴァルの「夢は第2の人生である」という言葉をどこかで聞きかじったからだ。

1日は24時間であるが、私の睡眠時間はだいたい8時間で、およそ1/3を眠って過ごしていることになる。2013年1月という記念すべき日が訪れるまでは、私はこの1/3を占める8時間は、日常の意識を喪失した、完全に無意味で無駄な時間だと思っていた。

しかしネルヴァルの言葉を聞いて、考えが変わった。人間は眠っている間、必ず夢を見ている。見ていないという人は、自分がずっと夢を見ていたことを朝になって忘れているだけである。ということが、夢日記をつけはじめて、初めて分かった。

毎日毎晩、人は夢を見ている。
美しい夢、醜い夢、恐ろしい夢、しあわせな夢、哀しい不幸な夢、奇想天外な夢、いつかも見たお馴染みの夢、とじつに多種多様な夢を、私(たち)は毎晩見ている。
そして、その夢のなかに(ネルヴァルがいうとおり)、昼間とは異なる「第2の人生」があるのだ。

そのことは、自分で夢を見る都度、目を覚まして電気をつけ、枕元のメモパッドに記入しなければ、けっして分からない。

そうやって長い間夢を体験し、それをできるだけありのままに記録し続けているうちに、私は人世は3つに分類できることに気付いた。

1つは現世。昼間の現実の中の日常的な人生である。そしてもう一つは常世。ネルヴァルが説く「夢の中の第2の人生」である。

一日のおよそ2/3を占める前者は、リアルな生の実体の手ごたえがあり、現実社会を対象化している喜びと苦しみがある。
そして後者には、肉体と此岸の苦楽を遠く離れ、彼岸の彼方で、精神だけが夢見る死の世界がある。
そこは空想と変身のパラダイス。父母未生以前のアダムとイブの裸の原始生活。形而下を逸脱した抽象的、観念的な形而上の楽園ともいえるだろう。

そして私たちは、このまったく相反する2つの別世界を、毎日行き来しながら、第3の、従って真正の人生を生きている。

それは現実と夢、リアルとファンタジー、生と死、正と反を、いわば弁証法的に合体させた、それまでの平坦で平凡で単調な人生とは鋭く一線を画した、より豊かでより複雑で重層的で充実した総合的、包括的な人生だ。

あえていうならば、それは生死を超越した詩の如き別乾坤。具体的にいえば、「第2の人生」が「第1の人生」をウロボロスの蛇のように呑みつくす「第3の人生」なのである。

人間の一生を「学生期」、家住期」、「林住期」「遊行期」の4期に分けるなら、私はすでに「遊行期」に突入したと思しいが、人生の最末期を支えてくれる頼もしい好伴侶こそ、他ならぬこの「第3の人生観」だと思っている。なんちゃって。

今場所は栃ノ心を応援することに決めている ぐあんばれ栃ノ心優勝するんだあ 蝶人


12 19

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年05月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031