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2020年07月19日15:52

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「奇妙な死刑囚」

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アメリカで29歳の時に身に覚えのない強盗殺人容疑で逮捕され、
死刑判決を受けて、30年間独房で過ごしたアンソニー・レイ・ヒントンの手記。
1985年、アラバマ州のレストランの店長が現金を奪われ、銃で撃たれた。
店長は一命をとりとめたが、彼が犯人をヒントンだと言ったことから、ヒントンは逮捕された。
その時ヒントンは24キロ離れた倉庫で働いており、退社時刻の記録も残っているというのに。
別の強盗殺人事件の容疑もかけられ、死刑判決を受けて独房に送られる。
上訴をするもことごとく駄目であったが、1999年に人権派のブライアン・スティーブンソンが弁護人になり、紆余曲折を経て2015年に釈放される。
その30年間の闘いを描いた、魂の叫びのような手記です。


アリバイもあり、犯行時に使われた銃が彼の家から押収された銃とはまるで違うということが分かっていても死刑判決が下りたのは、ひとえに彼が黒人であるからということのようです。
最初に送られたジェファーソン郡刑務所の、アッカー警部補はこう言います。
「いいか、お前が何をしていようが、何をしていなかろうが、関係ない。正直な所、おれはな、お前の仕業じゃないと思っている。だが、そんなことはどうでもいいんだ。お前がやっていないのなら、お前の兄弟の誰かがやったことになる。お前は自分の責任じゃないのに罰を受けるんだよ。」
「お前が有罪判決を受ける理由を五つ、説明できるぞ。
その一、お前が黒人だから。
その二、ある白人がお前に撃たれたと証言する筈だから。
その三、この事件の担当が白人の地区検事だから。
その四、裁判官も白人だから。
その五、陪審員も全員、白人になるだろうから。」

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(アンソニー・レイ・ヒントン本人)

ゴキブリやネズミが年中出入りし、死刑囚たちの汗や体液や糞尿が匂う劣悪なホールマン監獄。
30年間に彼の独房の前を通って処刑台に連れて行かれたのは、54人。
彼の無実を信じて祈り続けた母親は、2002年に癌で死去。
そんな中で彼は、何度も絶望に襲われながらもあきらめず、希望とユーモアを忘れなかったといいます。
他の死刑囚とも積極的に関わり、読書クラブを作り、監房でもひとかどの人物と見なされ、刑務官でさえ悩みを彼に打ち明けていたと弁護士ブライアンは言うのです。


ヒントンの冤罪が晴れて釈放されたのは、今からほんの5年前。
これではBlack Lives Matter運動が納まらない筈だと、改めて思いました。


「奇妙な死刑囚 」 https://tinyurl.com/y2eczh5c

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