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2015年12月01日17:27

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「星の王子さまの恋愛論」

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「星の王子さま」を私はあまりに好きだったので
その著者、サン・テグジュペリのことについて知ろうとは思いませんでした。
美しい著作に感動して、その作家のことを調べたらガッカリした、なんてことが
たまにありますので。
が今回、三田誠広の「星の王子さまの恋愛論」を読んでみました。
”この短い話がこれほど人々を引きつける秘密は何か。
 この物語を「挫折した愛の修復の物語」として、その謎をスリリングに解き明かす”
とはamazonのキャッチコピー。

「星の王子さま」の著者は、本名アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリといって
貴族の生まれであったのですね。
1900年、5人姉弟の真ん中に生まれ、リヨンのお城で育ちますが
父も祖父も早くに亡くなり、経済的には大変だったようです。
9歳で学校の寄宿舎に入れられますが、夢想家でわがままな彼は
学校や生徒たちにうまく馴染めず、何度も転校したのだそうです。
最終的に落ち着いたスイスの全寮制の学校では、母親に無理を言って
高額の費用を払い、個室を与えられたのだそうです、
そこで友達も作らず一人きりで本を読み、ますます孤独を深めたのですと。

学校の寄宿舎ならともかく、後に軍隊に入った時も彼は兵舎に馴染めず、
母親に懇願して、兵舎の近くに部屋を借りて貰ったのだそうです。
無論兵役だから、夜は兵舎に帰らなくてはならなかったのですが
わずかな自由時間に一人きりになりたいというのが、彼の切なる願いだった。
”個室は城であり、星の王子さまの故郷のプラネットようなものだったのでしょう。
 友だちのいない寂しい少年、というよりも、孤独が好きな人間、それが
 サン・テグジュペリだったのではないでしょうか”とこの本は断じている。

あの「芸術は爆発だ」の岡本太郎が著作の何処かで
人生で一番つらかったのは軍隊生活だったと書いていたことを思い出しました。
岡本は今では、アスペルガー症候群の一種であったように言われています。
サン・テグジュペリもその類だったのかしらん。

その後、彼は、貴族の令嬢ルィーズと婚約するも、生活力のなさゆえに破綻。
会社の事務員になっても1年しか続かず、トラックのセールスマンになっても
1年半に1台しか売れなかったのですって。
口下手で人づきあいが苦手だったというのだから、無理もない。
紆余曲折の末、彼はパイロットとなりますが
当時パイロットというのは、社会的に保証された職業でもなく、危険極まりなかった。
本人も何度も砂漠に墜落し、瀕死の重傷を負っています。
「星の王子さま」の中の砂漠の不時着シーンは、実話に基づいていたのですね。
その後コンスエロという美しい女性と恋愛しますが
派手好きで社交的な彼女との結婚生活は、必ずしもうまくは行かなかったらしい。
「夜間飛行」という小説が有名になり、彼は名声と富とを手に入れるのですが…

「星の王子さま」を書いた翌年1943年、フランス軍パイロットとして
44歳のサン・テグジュペリは軍用機で飛び立ち、この世から姿を消したのだそうです。
星の王子さまと同様、遺骸も残さずに。

そうした著者の生涯を知ってみると、「星の王子さま」はまた、別の重みを持ってくる。
”愛というのは、蜃気楼のようなものです。
 手が届かないからこそ、美しく見える。
 それにしても、ただの絵空事を描いたのでは、言葉は力を持ちません。
 激しく胸を痛め、涙を流しながら、絞り出すようにして書かれた言葉が、読者の胸を打つのです。
「星の王子さま」という作品の中に散りばめられた言葉が、まさにそれです”
どっちにしても、悲しい本なのだけどね…

「星の王子さまの恋愛論」  http://tinyurl.com/gvp345h
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