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2021年02月02日12:51

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トランプ氏退陣と保守思想の変容 京都大学名誉教授・佐伯啓思

 下記は、2021.2.1 付の正論です。

                  記

 アメリカ大統領がトランプ氏からバイデン氏に代わったことで、一見したところ、いわゆる保守からリベラルへと思想の軸が移動するかのように見えるが、事態はそれほど簡単ではない。そもそも4年前のトランプ大統領の登場とは、思想的に見ればどのような意味を持っていたのであろうか。良く言えば実に個性的、悪く言えば何ともハチャメチャな人物を大統領に押し上げたその思想的な背景は何だったのだろうか。

 そのような疑問は4年前から浮かんでは消えていたのだが、最近、井上弘貴氏(神戸大准教授)の『アメリカ保守主義の思想史』を読んで、私が断片的に持っていた知識がひとつの線としてつながり多くのことを学んだ。同書も参考にしながら、保守思想の今日的意味について考えてみたい。

 戦後アメリカの保守主義を最初に主導したのは、もともと共産主義運動に身を投じたトロツキストたちであった。だが彼らはスターリン率いる全体主義のソ連に失望して、自由主義的な保守に転向しただけではなく、アメリカにおけるニューディール政策以来の行政国家、つまり大きな政府や集権的権力を攻撃することとなる。対外的には反共産主義、国内においては集権的な行政国家批判である。

 1960年代以降、この行政国家を支配するものは高学歴エリートであり、彼らはリベラリズムの信奉者であった。エリート経営者、官僚、科学者、弁護士、医者、メディア関係者、その他の様々な専門家の多くは基本的にリベラル派であり、彼らは個人主義や自由主義に立脚して伝統的倫理観を否定し、また自らはエリート支配層に属しつつマイノリティーの権利保護を唱え、移民に対しても寛容な福祉政策をとった。保守はそれに反発したのである。

 ≪エリート主義への反発≫

 ここに戦後アメリカの保守思想の重要な心理が生み出される。それは、リベラル思想を振りかざす高学歴エリート支配層、メディアを動かす知識人への強い反発である。言い換えれば、伝統的な価値観に郷愁を覚える大衆こそが保守の支持基盤であった。それを反知性主義と呼ぶとしても、本質は、連綿と流れる反エリート主義、大衆主義としっかり結び合ったものであり、それをまたポピュリズム(大衆主義)といってもよいが、ポピュリズムこそアメリカ民主主義の本質なのである。

 ところがここにやっかいな事態が生じる。80年代のレーガン大統領の誕生である。それは、まぎれもない保守の勝利とされるのだが、まさにそのなかで保守主義は、いわゆる新自由主義あるいは自由至上主義(リバタリアニズム)へと変形されたからである。

 そこに90年代の冷戦以降のグローバリズムが重なる。かくて、小さな政府や市場主義の掛け声のもとで、グローバル経済における成功者が新たな支配層になる。ある知識人はそれを「ダボス階級」と呼んだが、グローバル市場、情報産業、金融市場において大きな富を得る新たなエリート層が形成されるとともに、他方では、衰退する伝統的産業や製造業に従事する低学歴の白人労働者層が生み出される。彼らはもともと労働者層には手厚い民主党の支持者であったが、4年前には(ヒラリー氏に代表されるような)民主党のエリート主義に強く反発して、トランプ氏支持にまわったのであった。

 かくて保守思想という観点からすれば、トランプ氏の登場と退場が意味するものはかなり複雑である。一方で、トランプ氏は、リベラルを掲げるエリート知識人や知的専門家、支配的なメディア関係者などへの反発を味方にした。このポピュリズムは確かにアメリカ保守主義のひとつの流れである。

 ≪保守が対決するものは何か≫

 だがまたグローバリズムや市場主義のもとでの「ダボス階級」を生み出したのは、新自由主義者であり、彼らはまた新保守主義者と呼ばれたのである。トランプ氏はその意味では反・新保守主義であった。むしろ財政拡張で政府を巨大化し、自由貿易も拒否した。一方で2001年以降、対テロ戦争によって世界に積極的に関与し、グローバル世界の秩序維持を使命とすべきことを主張したのもまた保守(ネオコン)であったが、トランプ氏の「自国中心主義」はそれにも反発したのである。

 こうなると、そもそも「トランプの時代」とは思想的に見ていかなる時代であったのだろうか。実際には、トランプ氏自身にはさして確たる思想的基盤はなかったように見える。支持の核は、思想的保守というより、彼個人の熱狂的支持者であった。ただ冷戦以降、保守が対決するものは何か、それが守るべきものは何か。きわめて見えにくくなっている。保守思想そのものが混迷に陥っている。

 バイデン氏が大統領になっても「トランプの時代」の構造は何ひとつ変わっていない。リベラルに戻せばアメリカ社会の矛盾が解決できるというものではない。その意味では保守思想の再定義が求められていると言わねばならない。(さえき けいし)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20210201/0001.html
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