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2020年02月18日15:20

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「日本特殊論」を排し司法改革を 早稲田大学教授・川本裕子

 下記は、2020.2.18 付の 正論 の記事です。

                       記

 ゴーン日産元会長の逮捕や取調べ過程では、日本の検察に対する国際的批判が強まったが、保釈中の逃亡は、日本の司法制度の権威を著しく傷つけた。検察・法務省は、日本の司法制度の正当性について国際的な主張を強める勢いだ。しかし、日本の制度について客観的な自己認識を持たなければ、独善的な主張と受け取られ、かえって国際的信用を失うリスクもある。日本が経済分野でグローバル化に対応してきた経験から学ぶ余地はないだろうか。

 ≪30年前の経済摩擦の教訓≫

 1980年代、日本企業は自動車、家電など様々な産業で輸出競争力を高め、巨額の経常黒字が常態化した。危機感を強めた米国などは日本市場の特殊性、閉鎖性を批判し、是正を迫った。これに対する政府や企業の当初の反応は「日本の制度には何の問題もない」という門前払い型だった。

 当時の日本の主張を振り返れば、独りよがりのものもあった。日本人の胃袋には外国産の牛肉は合わないとか、雪質が特別なので国際標準のスキー板は受け入れられないなどの主張だ。また、日本市場の閉鎖性の指摘に対し、米国の財政赤字の方がもっと問題だと、それ自体は頷(うなず)ける議論かもしれないが指摘事項に正面から答えない対応もあった。

 それが長年の議論を経て様々な分析やデータが蓄積、共有されるうち、経済官庁や産業界では肩ひじ張った日本特殊論は次第に影を潜めた。日本にとって良いことであれば、躊躇(ちゅうちょ)せず、改革を実行するという姿勢が主流化した。例えば、規制改革は日本でも政府の公式スタンスとなった。会計制度や銀行の自己資本規制の国際的な収斂(しゅうれん)、情報セキュリティー技術やISOといった商品規格の統一も進んでいる。

 海外から企業買収やアクティビスト的働きかけがあっても、「アレルギー的反応」から、客観的なルールや証拠に基づいて主張を明らかにするという冷静な態度への変化がみられる。まだまだ道半ばだが、批判に応えてコーポレートガバナンス改革に踏み出したからこそ、日本企業の潜在的価値に注目する外国投資家も増え、株価も上昇してきたという現実がある。

 今回の司法当局の反応を見ていると、30年ほど前の日本経済の姿に重なる。もちろん逃亡は決して許されるものではない。法令違反が公平・適正に処罰されてこそ、司法への社会の信頼感が醸成される。各国それぞれに独自の制度があるのも当然のことだ。

 ≪「事の本質」見極める必要≫

 しかしここはまず国際世論が日本に問う「事の本質」を見極める必要がある。それは「日本の刑事訴訟の手続では、国際的に見て遜色のない水準で人権が保護されているのか」ということだ。おそらく最も問題視されているのは取調べに弁護士が立ち会えない点だ。

 刑事訴訟手続における諸々(もろもろ)のルールは、日本が近代化の中で輸入したものだが、輸入元では、無実の人が処罰・処刑された厳しい歴史への反省を背景に作られている。つまり権力は秩序維持のために必要だが、権力の行使には間違いもありうるので、権力に一定のルールを厳格に守らせる必要がある、という基本的な発想がある。日本の場合、輸入はしたが、実質を十分に消化せず近代化以前の自白偏重の実務が残ったとも聞く。

 ≪何が国民のためになるか≫

 法務省HPは取調べに「弁護人が立ち会うことを認めた場合、被疑者から十分な供述が得られなくなる」と述べる。諸外国と比べて通信傍受やおとり捜査の範囲が狭いことなどから、(弁護士抜きで得た)被疑者の自白を重視する現在の手続きは避けられないという主張のようだ。確かにオンライン捜索や保釈中のGPSなど技術の進歩に伴ったツールの導入の可否も議論すべきだろうし、人権保護が国際水準を満たしている事項は堂々と主張すればよい。しかし捜査機関側の都合ばかりを述べるのでは、権力への懐疑をベースに持つ国際的な議論とかみ合わない。結果として能力のある外国人の経営者や労働者が、日本の勤務環境を安全なものと思わず来日を避けることがあれば、国益を損なう。

 考えてみれば、自白に頼る今の日本の刑事訴訟のやり方が本当に日本国民のためかというと大きな疑問がある。村木厚子元厚生労働事務次官をはじめとし日本でも冤罪(えんざい)の事例は後を絶たないからだ。国民の大多数は、刑事訴訟とは無縁に一生を過ごすが、もし無実の罪で間違って逮捕・起訴された場合、権力から身を守る手段は極めて弱い。捜査機関を監視すべき裁判所を国民はチェックできているかなどについても、もっと議論が必要だろう。

 世界経済フォーラムのランキングで日本の司法の独立性は世界141カ国中5位にある。

 しかし、独立性がブラックボックスと頑迷を意味するのであればむしろ問題だ。既存の刑事司法観に拘(こだわ)ったり、「司法村」の狭いサークルに閉じ籠もったりせずに、国民のために改革を進める勇気を期待したい。(かわもと ゆうこ)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200218/0001.html
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