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2019年12月13日11:51

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思い込みの外交はありえない 元駐米大使・加藤良三

 下記は、2019.12.13 付の 正論 の記事です。

                        記

 現役の役人時代に先輩から共産主義体制国家の外交の常套(じょうとう)手段として、まず理不尽な既成事実を一方的に作りだし、交渉を長引かせ、その理不尽な既成事実を引っ込めて元に戻すのが恰(あたか)も大変な譲歩であるように見せかけて相手側から妥協を引き出すというのがあると教えられた。

 ≪穏健・国際派の発言に注意≫

 この手の中には交渉事項と無縁の邦人を拘束し、文字通り「人質」にして交渉をゴリ押しする「無理筋」の手法も含まれる。これは非民主主義国家の専売特許かと思ったが今日必ずしもそうではないようだ。

 イギリスの人気作家、サマセット・モームが善行を積み重ねる善人が1000の善行の後、1つ善行を加えても誰も特に評価しないが、1000の悪業を繰り返した悪人が行うただ1つの善行は他を圧して光り輝くと随想の何処(どこ)かに書いていた。

 こうしたやり方を「強(したた)か」と評価する向きもあるだろうし、それが奏功するケースもあるだろうが、この流儀は少し長い目で見ると決していい評判に繋(つな)がらない。 それは「札付き」の常套手段だと悟られてしまうからである。1つの善行を貶(けな)す必要はないがすぐ対価を与えるべき筋合いのものではないだろう。

 芸術家の心臓が対象に向かって暖かく鼓動しすぎては碌(ろく)な作品が出来上がらないとドイツの文豪、トーマス・マンは作品の主人公に言わせている。

 かつてイラン、ミャンマー、北朝鮮、さらには中国など状況が難しい時ほど日本では相手側の「穏健派」「国際派」「開明派」を支援すべしとの議論が盛んになった。ちなみに、今年7月に対中政策についてアメリカのリベラル派有識者が議会に送った公開書簡にも「中国の穏健・国際派の発言力を高めさせるべし」という件が含まれていた。まだ、この種の議論がアメリカで生きているのだなという感慨を覚えた。

 ≪聞こえいい議論には注意を≫

 凡(およ)そ聞こえがいい議論には注意が必要だ。1990年代初め、イランとの関係が緊張していたころ、アメリカの複数の現実派有識者が述べていたのは「穏健・中道派」とは単なる「オポチュニスト」(日和見主義者)にすぎないということだった。これは具体的にはイランのラフサンジャニ師の評価をめぐってのことであった。

 暗闇の中で僅かでも光が見えたらそれに引き寄せられるのは当然の心理だろうし、充満する悪の中に善の兆しが見えたら関心は持つべきだ。ただし、過大評価やのめりこみは禁物だろう。

 当の「穏健・中道派」にどれくらい国内的力があるか。経験上弱体の彼らを助ける試みはサザエのつぼ焼きを爪楊枝(つまようじ)で食べる試みに似ていた。殻の奥のうまい部分を引っ張り出そうとして途中でプチンと切れてしまったときの脱力感に近いものがある。白いアヒルの子と思って大切に育てたら結局、同じ黒い鳥だったこともある。

 そもそも相手は案外強く、こっちの実力をきちんと値踏みしていて、表向きの賛辞、感謝のレトリックとは別に本当の目線はパワーの持ち主の方を向いていることが常である。72年日中国交正常化の際、周恩来首相は田中角栄首相に「ようやく、日本で本当に力を持つ方に訪中していただきました」と述べたと伝えられている。

 昨今、日中関係の改善が喧伝(けんでん)されている。しかし、今後の香港情勢への対応は日本の「価値観」がいか程のものかを日本自身が測る機会になるだろう。

 最近台湾筋から聞こえて来る声の中に、日本のメディアなどが米中関係を経済「摩擦」と表現していることに衝撃を受けたとの意見があった。台湾から見るとAI・サイバー・電子戦をめぐる目下の米中関係は明年1月の台湾総統選挙を控え、「摩擦」などではなく文字通り「戦争」のフェーズに入りつつあるとの緊迫した認識だ。

 にもかかわらず日本では「米中摩擦のおかげで日中が改善してほっとしている」という「本音」を聞かされてあぜんとする。96年の台湾危機の屈辱を中国は晴らそうと一貫して努力してきている。日本は中国の海空軍の動きをこうした側面からきちんと評価しているのか。以上は台湾の思い過ごしだと笑えるだろうか−。

 ≪独り善がりの心情外交は災い≫

 若い頃から「外交に飛躍はない」「外交に期限の定めはない」と教わってきた。これで一件完結。あとは忘れていいという姿は基本的に外交にはなく、以後不断の手入れ、手当てが必要不可欠だということだろう。大変「しんどい」ことであるが国際社会とは土台そういうものだ。

 筆者の現役時代にも、日本が世界の他の国々も(格別に良心的な国である)日本と同じような発想をするものだと思い込んであたかも鏡に映った自分と交渉しているがごとき体を示すことが間々あったように思う。これから先の世界情勢を見るとき、この種の「独り善がりの心情外交」は国に災いをもたらす所以(ゆえん)だと考える。(かとう りょうぞう)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191213/0001.html
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