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2019年11月14日00:10

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高まる中国全体主義への懸念 東京大学名誉教授・平川祐弘

 下記は、2019.11.13 付の 正論 の記事です。

                        記

 「民主主義と全体主義とどちらが良いか」と質問すれば、「民主主義」の答えが返ってくる。そんな令和の日本に生を享(う)けて、まあよかった、と私はめでたく思う。

 だが中国では「全体主義が良い」と露骨に言わぬにしても、共産党の一党支配が良い、とお上(かみ)は言明する。かつてデモクラシーの体験のない隣国の下々(しもじも)がそれに同調するのは分かるが、在外の華人の多くもそうだとすると、問題だ。だが国家が人民を管理する北京の現体制を、何億もの人が素直に受け入れているとは本当か。

 ≪一党専制独裁支配の功罪≫

 香港と違って大陸で習近平政権批判のデモが起きないのは、公安の取り締まりが厳しいからだが、それだけでない。空前の経済発展のおかげで、中国人は現状肯定の気分だ。毛沢東支配下では鎖国していたが、トウ小平以後は開放され、富裕層は海外旅行もできる。外国事情を自分の目で見る自由度はかつてなく高い。留学志望者も多い。だがこうして観光ができるのも政府主導の市場経済で、中国が世界第2の経済大国になったからだ。そう思うと一党専制の方が西洋民主制より良い、と言い出す。大陸沿岸部の方が豊かだから、台湾の民主主義モデルより中国の全体主義モデルの方が上だと居丈高になるのは当然だろう。

 実は私にも似た覚えがある。戦前の日本では、ヒトラーのドイツ、ムソリーニのイタリア、スターリンのソ連など一党専制の独裁体制が、議会制民主主義の英米仏より上で、効率的だと論壇でたたえられた。特にヒトラーの人気はわが国では絶大で、全体主義を良しとする風潮が日本を支配した。

 昭和10年代の新聞は「腐敗せる政党政治」や「官僚・財閥」を非難した(そのくせ軍部批判は手控えた)。なにしろ日本では毎年、首相が代わる。当然、一人の専制支配者はいない。当時の日本に声高なファシストはいたが、国家はファシスト国家ではなく、昭和天皇は立憲君主の分を弁(わきま)えて親政は行わず、独裁体制はなかった。戦争中の国定修身教科書小学校5年生用に「国民の務(つとめ)」として選挙が出ており、「他人に強いられて適任者と思わない人に投票してはなりません」と出ていた。

 ≪全体主義体制は命取りに≫

 斎藤隆夫代議士は、昭和15年2月、衆議院で戦争政策を批判し、その演説のために除名され、議席を奪われた。これが専制国家であるならば命も奪われたであろうが、斎藤は昭和17年4月の選挙で最高得票で再選された。

 今の日本の子供は民主主義とは多数決で決めることと習い、デモクラシーとは国民が議員を投票で選び、議会の多数党が政権を握ることなどは、大人が総選挙に投票に行くので分かっている。しかし全体主義とは何か、それは警戒すべきだ、という感覚は乏しい。

 毛沢東について人民中国の評価は、前半は祖国解放の指導者として高く、後半は大躍進や文化大革命の発動者として低い。20世紀の3大独裁者の中で、毛沢東が殺した人数はスターリン、ヒトラーを上回るようだが、人民中国は毛は功が6で罪が4とどんぶり勘定で独裁の罪を帳消しにした。

 だがそれと同様にヒトラーを評定すると、ドイツをベルサイユ条約の桎梏(しっこく)から解放し、国中に高速道路網(アウトバーン)を建設、国民車(フォルクスワーゲン)を普及させ、ベルリン・オリンピックで国威を高めた。毛主席式に評価すると、ヒトラー総統の前半の大功は後半の大罪とあい半ばするという屁理屈(へりくつ)もつきかねない。

 ≪日本人の警戒感強まる≫

 ヒトラーの大罪は、同一言語の同一民族だからとしてオーストリアの威嚇併呑(へいどん)に始まり、ついで機械化部隊でポーランド、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスを制圧した。すると「バスに乗り遅れるな」と昭和15(1940)年、日本はドイツと手を握ったが、それが命取りとなった。ナチス・ドイツと同盟したことで日本は米英と決定的に敵対し、日米開戦は不可避となったからだ。

 林鄭月娥行政長官に反対し、民主化を求める香港デモは、次第に反習近平デモの様相を呈し、学生のみか市民も香港が中国化することへの不満を世界に示した。法律を改正し主席任期を撤廃させた皇帝もどきの習近平氏だが、権威はこれで傾いた。すると彼は毛沢東回帰を唱え、軍事力を誇示し、人民の愛国心をあおる。だが斜陽の人気を軍事闘争で回復されては物騒だ。香港武力制圧や台湾併呑の挙に出るつもりか。日本でも近年、監視社会化が進む隣国に対する警戒感がようやく強まった。

 いまや覇権国を目指し「中国夢」を説く。そんな中国と米国の関係は悪化する。遠交近攻の中国は、大戦中は米英ソと結んで日本と敵対したが、今度は日本に近づくべく習主席が来日する。だがこんな皇帝もどきと手を握れば、わが国の命取りとなりかねない。

 「速(すみ)ヤカニ立チ帰リ給(たま)ヘ」とでも言いたいところだが、相手は国賓である。なにとぞ日出(い)ずる国の天子は、日没する国の元首に、和して同ぜず、「恙(つつが)ナキヤ」とご挨拶賜りたい。

(ひらかわ すけひろ)

 https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191113/0001.html
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