下記は、2015.9.30 付の産経ニュース【京都正論・詳報(上)】です。
記
■『中華民族の偉大な復興』とは何か
京都市上京区の京都ブライトンホテルで28日に行われた京都「正論」懇話会のの第48回講演会では、東京国際大教授の村井友秀氏が、「『中華民族の偉大な復興』とは何か」と題して講演した。講演の概要は以下の通り。
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安保法案は憲法違反か
最初に話したいのは、特に安全保障に関する議論について、日本の常識は世界の非常識だとということ。
例えば、今度の安全保障関連法案の審議の中で、法案は憲法違反かどうかという問題があった。憲法学者が一番正確に判断できると思うが、私の知っている限り憲法学者の9割が「憲法違反だ」というと思う。
そのなかで7〜8割が自衛隊は憲法違反だと考えていると思う。多数がそう考えているのだから、たぶん憲法違反なんだろうと思う。
議論はそこで終わりではない。これに関しては2つの議論がある。
最初は「Necessity knows no lows(必要の前に法律なし)」。あるルールを決めたときの一番のポイントはそういう法律が必要かどうかで、憲法違反とか違法とかということは二次的なことになる。
次は、法律はどういうものかということ。法律には自然法と人定法の2つある。人定法は、普通は国家機関が決めたもの。一方が自然法。これは法律の有無にかかわらず人間が本来守らなくてはならないルール。具体的には、人が人の生命、自由、財産を守るための行動は正しく、法律がないとできないわけではない。
だから自然法は人定法より前に存在する。憲法は人定法だが、自然法に反する憲法は違法。たとえば、人が自分の命を守ることを禁止するような憲法は違法だということ。自然法がすべての法律の前提になる。
国家にも国民と領土と主権を守るという自然法がある。もし、憲法が、国家が国民、領土、主権を守れないような、これを否定するようなら、そんな憲法はもともと違法だと。(安保関連法が)違憲なら憲法そのものが違法で、変えないといけないのは憲法のほうだ。
困っている国を助ける
安全保障関連法案の中でポイントの1つとして集団的自衛権があった。これについても、政府の説明が間違っているため、非常に誤解が広まってしまった。
集団的自衛権は、他国を守り、他国のために戦う権利だ。他国のために戦うというのは、その国を助けるということ。困っている国がいたら助けるということ。だから別の言い方では、「あなたの国はいい国か悪い国か」という議論になる。
急迫不正の攻撃が加えられたときに個人の身を守る正当防衛という権利はみんなが認めているが、この正当防衛にも2つのパターンがある。
1つは暴漢から自分のみに攻撃が加えられたときに反撃し、暴漢がけがをしても罪に問われないというもの。もう1つは、道を歩いていて、酔っ払いに殴られている子供を助ける場合。酔っ払いからは一切攻撃を受けていないし、被害者でもないが、一方的に殴ってとめたことは罰しない。
これはいい攻撃で、他人の身を守ることも正当防衛の一種。自分と関係のない他人を守るのは勇気のいることで、いいこと。集団的自衛権もこれと同じ。
国際法と国連の決議の双方で国家にも自衛権は認められているが、これにも個別的と集団的と2つの自衛権がある。
例えば、A国がB国を先に攻め、B国は自力で反撃する。これが個別的自衛権。
では、A国がB国よりも強く自力で反撃しろといってもどうしようもない場合はどうするか。先ほどの例で言えば、子供に対して「おまえが酔っ払いに反撃しろ」と言っているのと同じで、弱い国に反撃はできない。つまり、個別的自衛権しか認められない世界は弱肉強食の世界になる。
これは良くない。B国が弱ければCという国に頼む。そうするとC国はA国を攻撃する。これが集団的自衛権。C国はA国から攻撃を受けていないのにA国を攻撃しても違法ではない。
つまり、正義の行いというのが集団的自衛権。国連加盟国すべてがやらないといけないことで、やらないのはいい人ではない。
国や人には3パターンがある。困ったときに(1)「助ける」と言って、実際に助ける場合(2)「助ける」と言って助けてくれない場合(3)「絶対助けてやらない」と言って実際に助けてくれない場合だ。
世界中のほとんどの国は(2)を選ぶ。しかし、日本はこれまで(3)だった。そういう国が他国に頼んだときに誰が助けてくれるのか。
今回、国会で議論していたのは、「助けるのか」と聞かれて「助ける」と答えるが、歯止め議論と称して、アメリカ人なら助けるとか、いろんな条件をつけているもの。これは、外国人から見ると結局は助けないという議論を延々とやっているように見えるため、意味不明なものになる。世界から見ると非常識な国ということになる。
多数意見と少数意見
さて、ここで安全保障問題に関する多数意見と少数意見について触れておきたい。
まずは同盟国という考え方。自衛権をめぐって同盟国をどう扱うかという考え方には2つある。
少数意見は、同盟国を助ける場合は、同盟国とは密接な利害関係があるため、個別的自衛権のカテゴリーに入るというもの。多数意見は「同盟国といえども外国だ。集団的自衛権で判断すべき問題」というもの。これが自民党の意見だ。
つまり、政府の集団的自衛権は同盟国だけ助けるという内容になるが、これは世界中が理解している集団的自衛権のごく一部にすぎない。
しかし、諸外国では「日本は集団的自衛権を行使するようになった」と報道され、これにより諸外国では「日本は外国全体を助けるようになった」という誤解が発生する恐れがある。日本のような世界の非常識というのは、外交上大きな問題をもたらす可能性があることを注意しないといけないと思う。
もう一つの多数意見と少数意見は、先ほどの集団的自衛権の説明で使用したケースだが、C国がA国を攻撃する際にB国の依頼がいるかどうかという問題。
多数意見は依頼が必要というもの。一方、少数意見は別にB国からの依頼がなく、C国が自分の判断で攻撃してよいというもの。
現代世界では少数意見が多くなりつつある。最近の世界を見ると、たとえばルワンダでフツ族からツチ族が大虐殺を受けているときに、ツチ族は国際社会に助けてほしいという手段がない。だから現代世界の中で部族対立や内戦が起きたときに、やられている側が発信できなければ、かつ世界がジェノサイド(大虐殺)だと思ったら、被害者からの依頼がなくても攻撃できるということになりつつある。 =(下)に続く
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【プロフィル】村井友秀(むらい・ともひで) 昭和25(1950)年生まれ、大阪大学文学部卒。東京大学大学院博士課程。防衛大学校図書館長、防衛大学校教授など歴任し東京国際大教授。専門は中国など東アジアの安全保障。共著に『失敗の本質』『戦略の本質』。
現代世界では少数意見が多くなりつつある。最近の世界を見ると、たとえばルワンダでフツ族からツチ族が大虐殺を受けているときに、ツチ族は国際社会に助けてほしいという手段がない。だから現代世界の中で部族対立や内戦が起きたときに、やられている側が発信できなければ、かつ世界がジェノサイド(大虐殺)だと思ったら、被害者からの依頼がなくても攻撃できるということになりつつある。 =(下)に続く
http://www.sankei.com/west/news/150930/wst1509300017-n1.html
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