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2019年08月31日10:20

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過失致死飯塚幸三さんVSあおり運転宮崎文夫さん〜復讐するは我にあり。

> 男性は7月、「加害者がしかるべき処分を受けることが、再発防止につながる」として署名活動を開始。

申し訳ないが、個人的に「これ」が信じられないのだ。
好き嫌いで言って申し訳ないが「イヤ」なのだ。

現実に私自身が家族を殺された経験はないので、被害者男性の心情は想像でしか語れないが。

池袋暴走 厳罰求め署名29万筆
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5769523

人は、理不尽に家族を殺された果てに、事故の「再発防止」を重視するものなのだろうか? そういう菩薩のような心情になれるものなのだろうか?

本当に下品で申し訳ないが、私が被害者の立場なら、「再発防止」を願わない。
私自身が、過失致死飯塚幸三さん相手に、事故を「再発」させたいと思う。

妻子を殺した過失致死飯塚幸三さんを刑務所には行かせない。
刑務所に入るのは殺人罪の私で、
首や手足が180度回転した過失致死飯塚幸三さんが入るのは棺桶である。

もちろん、家族を殺される、といっても、親兄弟を殺されるのと、妻子を殺されるのは、やはり一緒ではないだろう。
年齢もある。少年時代に食わせてもらっている親を殺されるのと、自分でメシを食える中年になってから老いた親を殺されるのは全然違う。
妻子を持つ身になれば、年上の親より年下の妻子の方がはるかに大事だろう。
被害者に他の家族が残っているかどうかも心情に大きく影響を与える。

事故の防止なんてどうでもいい。もはや殺されて困る家族はいない。
なんでもいいから、過失致死飯塚幸三さんに復讐したい。
その後で、過失致死飯塚幸三さんのご家族が、殺人者の私に復讐したいのならば、笑って待つ。
できるかどうかは別として、私ならそういう心情を想像する。

もちろん、現実は、そういう人はほとんどいない。
殺人事件、過失致死事件は山ほどあるが、妻子の敵討ちなんていう復讐事件はゼロに近い。
人間は、現実問題、その立場になっても、修羅鬼畜外道になれないモノなのだろう。

私の愛する世界(私の妻子)を、他人に破壊された。
その他人に私が計算した応分の復讐を果たす。

この心情は、実は、あおり運転宮崎文夫さんやガラケー喜本奈津子さんと地続きだ。

宮崎文夫さんも自分が愛する世界(縦横無尽に他人を無視して高速道路を飛ばしまくる)を、他人に邪魔された。
その他人に宮崎文夫さんが計算した応分の復讐(あおり運転、脅迫、顔面パンチ)を果たしたのだ。

誤解してはいけない。
「過失致死飯塚幸三さん」と「あおり運転宮崎文夫さん」が一緒なのではない。
「過失致死飯塚幸三さんに復讐したい被害者の心情」と「あおり運転宮崎文夫さんの自分勝手やりたい放題の心情」が、程度の差こそあれ、同じなのである。

あおり運転も修羅鬼畜外道の行為であり、妻子の復讐も修羅鬼畜外道の行為なのだ。

そして、妻子の復讐を実行する事件がほとんどないように、普通の人間には、修羅鬼畜外道の行為はなかなかできない。
だからこそ、いとも簡単に修羅鬼畜外道の行為を実行しまくった、あおり運転宮崎文夫さんは常人ではなく精神的な病理を疑われるのである。

しかしだ、修羅鬼畜外道の復讐って、本当にダメなのだろうか? 
修羅鬼畜外道の復讐でしか報われない「愛する妻子を奪われた、何も残っていない、この世の地獄」もあるのではないか?

新約聖書ローマ書12:19
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。

人間のアンタが復讐するな。復讐は神がやってやるから、それで我慢しろ。
因果応報、結局、復讐は行われる。
聖なるイエスの世界にも、無罪放免の「赦し」なんて無いのである。

天上の神か、八丁堀同心必殺仕事人・中村主水か、誰がやるかは知らないが、復讐は行われなければならない。


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