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2019年04月25日13:37

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年賀状が届かない令和2年元旦〜87歳は87歳並みに老いぼれて死ぬのが一番幸せ。

87歳にして、大きな病気もしなかった。足も動くし、目も見えた。
同年代に比べて健康そのもの。
知り合いからは、「お元気ですなあ」と、羨ましがられていただろう。

元官僚で、元大会社重役。
お中元も、お歳暮も、暑中見舞いも、年賀状も、結婚式や葬式や会社や団体の式典の招待状も、山のように届いていただろう。

名誉も十分、財産も十分。成功した人生だった。

それが、一瞬だ。

今や、日本国中の憎悪を一身に浴びる「鬼畜外道」である。

官僚時代の知り合いも、会社の部下も、自称・友人も、みんな手の平を返す。電話1本かかってこない。
地位も名誉も友情も、全部ウソだった、と思い知らされる。
そして、こっちだって「彼ら他人」を批判できない。もしも相手の立場なら、自分だって縁を切る。

令和元年の暑中見舞いは、データベースを削除し忘れた証券会社の印刷だけ。

令和2年元旦の郵便受けは空っぽである。

87歳なら、87歳なりにちゃんと病気を患っておけば、幸せだったのだ。
癌でも、糖尿でも、心臓でも、肝臓でも、腎臓でも、目でも、足でも、手でも、何かの病気で動けない、自動車運転なんてとても無理、の方がよっぽどマシだった。
遠出はできないが、安楽椅子から自宅の庭を眺め、「まず、悪くない人生だった」と、つぶやくことができた。

87歳に運転させた、奥さんも、息子も、死ぬまで悔やみ続ける。
しかも、自業自得である。世間の誰一人同情してくれない。
さらに、無駄に優秀な弁護士が、執行猶予を勝ち取って、ますます日本中から蔑まれる。「地獄に墜ちろ」「早く死ね」と無言の大合唱である。

頑張って東大を出て、必死で働いた人生は、築き上げた名誉と財産は、いったい何だったのか? 

衝突した時にいっそ死んだ方がマシだった、という考える時間はあと何年か?

こういう人に限って、病気にならないものだ。元気なのだ。
あと10年も、意識がハッキリしたまんま、会話の無くなった家族と共に、自分の稼ぎで建てた自宅で寝起きすることになる。

池袋暴走 松永さんの夫が会見
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5594947
>事故は19日に発生した。旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(87)が運転する車が約150メートルにわたって暴走し、自転車に乗っていた松永さん母子や歩行者を次々にはねた。


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