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2020年06月13日15:54

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君の名は、アニヤ・ハルテロス

 「トスカ」「シェニエ」もよいが、ヴェルディ熱が収まらない。
 今年「アッティラ」と「マクベス」に親しみ、最近も「ファルスタッフ」「ドン・カルロ」につづき、「シモン・ボッカネグラ」、さらに初めて「仮面舞踏会」へと聴き進んでいる。有名作だけで20近くある。過去の名盤CDだけでなく、最近の舞台をBDで見る時間が増えた。

 「シモン」は、アバドが再発見した作品で、彼の死後、ムーティも初めて取り上げた。以前日記に書いたパルマのBDボックスでは、レオ・ヌッチが表題役を好演し、演出・衣装・配役とも高水準だった。
 今回は、バリトンに転向したプラシド・ドミンゴがスカラ座で演じた2010年の舞台(バレンボイム指揮)映像をジャケ買いした。全体に照明が暗すぎ、演出や衣装も、パルマの方が好みだった。以前「リゴレット」役も観たが、ドミンゴの声は、バリトン役を演じるには、深みを欠き、意外にも、演技力も優れているとは言いがたい。この人は、やはりモテ男のテノール役が適していたのだろう。昨年はヴェローナ音楽祭出演50周年を祝った直後にMeToo案件で世界中のすべての舞台を降板させられ、79歳の今年春には新型コロナに感染した。

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 「仮面舞踏会」では、パヴァロッティのCDで予習した後、2016年のメータ指揮バイエルン国立歌劇場の映像を観た。不倫劇らしく中央にダブルベッドを固定配置し、舞台周囲にらせん階段を設えるセット、腹話術人形も使った創造的な現代的演出だったが、こちらは、なかなか面白く楽しめた。演出に詳しい人なら、もっといろいろ読み取れるのだろう。ジャケ写の間抜けそうな顔と違って、好演の主役ピョートル・ベチャワが着る青のガウン裾には、なぜか北斎の白波が描かれ、あごが尖った横顔で、立ち姿が若いときのアントニオ猪木のリング入場衣装に見えた。
 このオペラは、アリアや聴きどころが多く、とても楽しめる。しかし、1989年のカラヤン盤以降、正規録音のCDは出ていないのではないだろうか。
 ここで取り上げた2つの映像の女性役には、同じ歌手が出演している。
 その人の名は、アニヤ・ハルテロス。

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 他にも、「ドンカルロ」「運命の力」「トスカ」「ローエングリン」「ワルキューレ」などでヒロインを務めた映像が出ている。
 ハルテロスは、1972年、ドイツ(ケルン近郊)生まれのギリシャ系ソプラノ。英国カーディフのコンクールで審査員を務めていたサー・ピーター・ジョナスが大絶賛し、自身のバイエルン国立歌劇場に招へいした。当初はモーツァルトやヘンデルと軽い声だったが、ヴェルディ、ワーグナーへと舞台経験を積み、この10年以上、人気テノールのヨナス・カウフマンやベチャワの相手役に起用されて、ミュンヘン、ウィーン、スカラを中心に活躍している(英米など遠くの歌劇場に行きたくないそうだ)。
 ハルテロスの声は、過去の名歌手のように個性的というわけではないが、淀みなく美しい。何より、整った容貌と長身の舞台姿で清楚な印象を与える。若いころはギリシャ系のエキゾテッィクな雰囲気だったが、役柄に合わせたのか、メイクや髪型もドイツ人風にしている(眼と眼の間が短く、大柄なので映画コメンテーターのLiLiCOさんに少し似ている。あるいは、長身の舞台姿とアゴの雰囲気はセリーヌ・ディオンさんっぽい)。

 考えてみると、ヴェルディの若いヒロイン像は、受け身・消極的な女性が多いように思える。「シモン」も「舞踏会」も、ともにアメーリア役は、運命を受け入れる印象だ。あの「椿姫」(ラ・トラヴィアータ)でさえ、好きになった男性を受け入れ、田舎親父の別れ話を承諾し、元彼に面罵された上、一人死んでいく。
 「イル・トロヴァトーレ」「ドン・カルロ」「アイーダ」「オテッロ」、細部の違いはともかく、運命に翻弄され、主役と一緒に死ぬ場合が少なくない。ヴェルディの女性観なのか当時の女性の生き方一般なのか。あえて言えば、自分の意思で身代わりの死を選び、恋人の命を助ける「リゴレット」のジルダには強い意思を感じる。そうでもないか。

 控えめで清楚に見えるハルテロスは、ヴェルディのヒロインに向いているとされるのではないか。
 現代のスター歌手、アンナ・ネトレプコとなると、その生き様も含め、もっと能動的、表現はともかく「肉食的」(肉欲的)な印象を受ける。
 あるいは、元祖ギリシャ系のマリア・カラス。受け身の役でも「主役」になってしまう猛々しさがあった。
 少し前の人気ソプラノ、アンジェラ・ゲオルギューにしても、大スターになった後は、当時の夫ロベルト・アラーニャと舞台の上でも楽屋でも、べたべた・イチャイチャしたあげく、傲慢な振る舞いが過ぎて、有名歌劇場からたたき出されるスキャンダルには、事欠かなかった。
 そこへ行くと(実際は知らないが)ハルテロスは、歌劇場や相手役にとって、扱いやすい常識人なのかもしれない。ドイツ国内で異国人として育ったせいか、大勢の人前にしゃしゃり出るのは好きでない謙虚な人柄のようにも見える。
 母国語のドイツ語による名唱は、シュトラウスの「四つの最後の歌」がしっとりと聴かせる。将来的には、シュトラウスの貴婦人役にレパートリーを広げるのだろうか。「ばらの騎士」や「アラベラ」を観たいと思う。

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