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2019年08月21日20:04

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すみわけ

トウモロコシ畑の端の列は、クマの為にあると言う話を私が住んで居る北海道で聞きました、ただ畑の真ん中に居座り食べてる場合は、追い出すとそれでも居座る場合鉄砲で撃つと、この最後の例はめったにないそうです。

すみわけ、住ませてもらうから後退下りる行動は確かに大切で行える事です。

書き忘れましたが、トウモロコシは飼料用のデートコーンで、クマさんは実だけを食べますので残りの全草は被害が倒れてるだけであまり実質の被害が無く双方も心得ていてのことで冬眠前の秋口に現れると話を聞きました。

被害が多い場合電柵を畑の周りに貼ります。

なお北海道のヒグマはアイヌ語でキムンカムイで山の神と崇められています・・・アイヌのクマ送り(キムンカムイを神々に世界に返す)の儀式は生き物の命の尊厳の究極の感謝の儀礼でもある事を明記しておきます。(この儀式は動物愛護団体の反対などで長期にあたり行われていません)

友人の書き込み
◆この日本でも、縄文の民、山の民は、オオ神やシシ神やカムイと呼んで畏れつつ、ツキノワグマやヒグマとは共存共栄してきたという長い歴史があります。
共存できないなら、後からやって来た人間はその土地に住むべきではない。
先住の野生動物たちのテリトリーで、人間の都合は通用しないのだから。
だから、縄文人は山に住み続けることができ、弥生人は里に住んだのだ。
文化的な背景による適応能力もあり、適材適所で棲み分けが出来ていた時代があった。
やがて水田が広がり、山の斜面を利用した棚田となっても、縄文スピリットが息づく山間部ではずっと長いこと謙虚に暮らす知恵があった。
それが、近代文明以降に土地の所有が濃厚になり、山であろうと人間が支配するようになった。
山の際まで開発するような住宅地が増えたのは、つい最近のことではないでしょうか。
害獣という考え方。
人間に危害を加える可能性があれば射殺したり駆除すればいいと、平気で思い込んでしまっている思想こそが危険です。
それは、太平洋戦争末期の原爆投下や多くの都市部での空襲が、民間人であろうと一瞬にして大量殺人しておいて、アメリカ兵の犠牲者がこれ以上増えないために必要だったという考え方と同じではないでしょうか。
アメリカでは今でもそれが常識化してる。
日本人として、そのことをどう思うのか。
現代は、仕方なかったですませる悪行が本当に多すぎる。
自然界も限界に来ており、害獣は殺してもよしとする常識化された考え方こそ変えていかないといけない。
人間そのものがますます住みにくい環境で生きていくのを選択するか、開発の勢いを止めて後退するくらい謙虚に共存共栄していく暮らしを選択するか、山のカミたちに問われている気がします。
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