言葉は、更に単体…単語として生きる時も有れば、言葉の流れで生きる事も有り、言葉の意味あいは地域で変化するときも有ります。
こだわらない
とらわれない
かたよらない
この、ない事に認知する事が大切で有ると思います元々「無い」のですから。
般若信教の空では、下記にこの様に説明してます。
かたよらない こだわらない とらわれない 広く広くもっと広く、これが般若信教の空なり と
「あなたは何々とこの様に表現して考えているが、俺は何々の表現から見てあなたのこの様な表現は間違っていて俺の表現が正しいのだ」・・・
確かにそれも良いでしょう、しかし
「あなたは何々とこの様に表現して考えているが、私は何々の表現から見て私はこの様な表現ならばこの様に表現をする事が正しいと思う」
が対立を避ける呼びかけだと思います。
(俺の表現が正しいのだ指摘し表現している事も正しいのです。ジンテーゼ=アウフヘーベン、統合です)
学んだ事が偉いのでないのです、学んだ者も学ばない者も共に理解しあい学び結び合い融合することが尊く清い事だと思っています。
山登りに、その人に合った山登りが有ります、其れをしなければ怪我や遭難をします、頂を目指す山登りの仕方を互いに学びあう事が一番大切で怪我や遭難をしない事に成ります。
論議を呼ぶ、それは良い事です
議論を呼ぶ、其れも良き事です
しかし論議も議論も、硬直して
論争を叫ぶなかれです。
その時には、弁証法を使う事ですむのです。
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