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2020年06月06日21:31

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現在地

色んな紆余曲折があった中での現在地で、
その意味では「満足」とも言えます。

例えば、やり直すとしたら「中学入学」です。
小学校6年の11月に渋谷区から新宿区に引っ越してきた私は、
渋谷区の小学校に、卒業まで通いました。
引っ越したときに中学2年だった姉は、卒業まで渋谷区の中学校に通いました。

渋谷区の小学校を卒業した私には、渋谷区と新宿区の両方の中学から入学案内が来ました。
目と鼻の先にある中学に入学したのですが、
渋谷区の中学に通っていたら・・・・と考えることがあります。

渋谷区も新宿区も東京都の第二学区です。
でも、私の小学校から入学する中学は、第二学区の底辺校(失礼!m(__)m)
私が入学した中学は、第二学区の頂点校。
なにしろ「都立戸山高校」(当時は東大に入学する人が多かった)に行きたいために、
川越当たりから越境入学してくる生徒もいたくらいで、
越境組が成績上位を占めていました。
どう頑張っても私は「オール3」程度(当時は学校内相対評価)
模擬試験をすると、
都内全域で計算した偏差値が58
学区内全域で計算した偏差値が55
学校内だけで計算した偏差値が50
という結果です。(偏差値50ですから相対評価で3ですね)

もし渋谷の中学なら「4科目オール4+数学は5」だったでしょう。
そうしたら、都立高校に入れたでしょう。
入試は3科目で220点くらい取りながら、内申が32で、
25群(上位から4番目の高校群)すら落ちたのです。

中学卒業した時に、小学校時代の友人(親同士が仲が良かった)の進学先の話になり、
私の「25群に落ちた」という結果を知って「サボってたんでしょ」と言われたのです。

でも、それがあったから、「内申書」「偏差値」という本に目が行き、
図書館で借りてきて読み、内申書裁判なども知ることが出来ましたし、
教育への道に進むことにもなったのです。
もし渋谷区の中学に行っていたら、
遠山啓と出会うこともなく、和光大学なんて知るべくもなく、
和光大学生たちと激論した浪人生活もなく、無二の親友とも出会うこともなく、
私の現在地には辿り着いていないでしょう。

さらに、和光大学しか目になかったので、そこを落ちたときに経理学校という選択をし、
そこでの税理士受験から、
今に至る「法律」(興味の中心は行政救済法)を学べたのです。
だから、後悔はしてません。

税理士事務所勤務時代には
「国税通則法」(納税者救済手続中心)、
「国税不服審判所法」
「行政不服審査法」、
さらには「行政事件訴訟法」まで一通り読みました。
そのほかの法律も、
一応六法のうち五つ(民法、商法(当時)、民事訴訟法、刑法、憲法)は
入門書だけ読みました。
刑事訴訟法だけは難しすぎて、入門書すら途中で投げ出しました(^^;)



■人生やり直せるとしたら、何歳がいい? 「リア充だった14歳」「婚活で焦った33歳」という人も
(キャリコネ - 06月06日 09:20)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=6109655
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