mixiユーザー(id:5416651)

2020年03月22日22:31

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歎異抄第7条

【原文】
念仏者は、無碍の一道なり。
そのいわれいかんとならば、
信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、
無碍の一道なりと云々

【私感】
念仏の信者は、何もこだわる必要がない・・・と言っているような気がします。
(本来の解釈とは異なりますが)
親鸞自身は道祖神を拝んだり、お地蔵様を拝んだりすることはありませんでした。
でも、それをしている人を批判したりすることもなかったような気がします。
「念仏」というものが真ん中にあればいいと・・・(本当に私感です)
「天神地祇も敬伏し」というのは、親鸞伝絵にも熊野権現の逸話が書かれていますが、
その逸話自体は、覚如の創作ではないかとも言われています。

念仏(=阿弥陀仏からの回向)に勝る善はなく、罪業も吹き飛んでしまうから、無礙であると・・・


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