蒸した米は「強飯」といい、
記事にある「高盛飯」や、日光輪王寺の「強飯式」が有名ですが、
万葉集にも出てくるくらいですから、
貴族の間では、相当前から蒸した米を食べていたのではないでしょうか。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(万葉集 有間皇子)
粥では「椎の葉」には盛れませんね。
また伊勢物語にも、有名な東下りの段に「乾飯(かれいい)」が出てきます。
蒸し米を干したものとされますが、旅の途中で「乾飯がふやけた」と書いてありますから、
この話の「乾飯」は、今で言う「おにぎり」のような塊になっていたのではないかと想像します。
(通常の保存食としての乾飯は水またはお湯で戻して食べる)
からころも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。
(伊勢物語 第9段)
蒸し米は米を沢山使うので、庶民にとっては贅沢で、
水を使って煮る「おかゆ」ないしは、より水の多い「おもゆ」だったのではと想像します。
七草粥なんていう風習もありますが、
私は子供の頃、「おかゆ」で舌(だけではなく喉も)を火傷したことがあるので、好みません(^^;)
我が国では朝の定番なのに! なぜ日本人は「お粥」をほとんど食べないの?=中国メディア
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=5983788
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