mixiユーザー(id:5415667)

2020年02月29日00:46

188 view

大和路の旅/五反田星空解説

25日から27日の2泊3日で奈良大和路の旅をしてきた。

今回の旅の第一の目的は、桜井市吉備池廃寺址(百済大寺址)〜明日香村大官大寺址〜奈良市大安寺と、都城の移転に従って場所と名称を変えてきた日本初の官寺、百済大寺の足跡をたどることだった。これは41年前に1回やったのだが、当時は奈良市広陵町の百済寺のある地がが百済大寺址だと思われていたので、百済大寺としてはそこへ行ったのだった。ところが近年の発掘、研究によって、吉備池廃寺址が正しい百済大寺址だとわかったので、官寺巡りのやり直しをしたのである。

24日深夜に家を出て、25日朝に桜井市に到着、桜井駅近くの駐車場に車を停めてそこから徒歩10分ほどの吉備池廃寺址を初めて参観、その後また車で明日香村に行って今回の旅の宿の民宿脇本に車を置かせてもらって徒歩で大官大寺址、飛鳥寺、橘寺、川原寺址、亀石と巡って夕刻民宿脇本に戻った。飛鳥寺は41年ぶり4回目、大官大寺址と亀石は41年ぶり2回目、橘寺と川原寺址は初めての参観だった。大官大寺址付近では大官大寺関係の遺跡を発掘している現場に遭遇し発掘している人たちの話を聴くこともできた。

26日は明日香から奈良に向かい、大安寺、東大寺戒壇院、秋篠寺を参拝して明日香に戻った。東大寺戒壇院と秋篠寺は41年ぶり3回目、大安寺は41年ぶり2回目の参拝だった。

27日はまず41年ぶり2回目の當麻寺に参拝、計画段階では當麻寺でかなり時間を使うと予想して當麻寺の後は聖林寺のみで帰京するつもりだったのだが、當麻寺参拝を昼過ぎに終えることができたので、計画を変更して聖林寺はやめにして斑鳩に行き法隆寺、中宮寺、法起寺、法輪寺を巡った。法隆寺は41年ぶり5回目、中宮寺は41年ぶり4回目、法起寺、法輪寺は41年ぶり2回目の参拝だった。

16時ころに法輪寺を辞し、23時過ぎには自宅に帰着することができた。

今回の大和路巡りはコロナウィルスの影響でどこへ行っても人が少なく落ち着いて参拝できた。法隆寺では2時間滞在して出会った他の参拝者は20人ほど、當麻寺ではやはり2時間滞在で他の参拝者一人、他の寺もすべて一人から数人だった。建物が残っていない寺跡はすべて参観者は私一人だった。

法輪寺を辞して東京に帰る途中、高速道に入って間もなく夕食をとるために寄ったSAでヒッチハイクの若者を拾った。彼は2000年生まれの放送大学生で、大阪で用事を済ませて東京まで帰る途中だった。途中のSAで車を乗り継ぎながら東京に帰るつもりだったらしいが、私も東京まで帰るので、彼にとっては幸運だっただろう。しかも住まいが吉祥寺だか三鷹だかで、私は高円寺で彼を下ろせば回り道せずに帰ることができるので、その点でも好都合だった。彼は礼儀正しく、そしておしゃべりではなくかといって寡黙でもなかったので、長時間ドライブの同乗者としては最適だった。

今回の旅は念願だった吉備池廃寺址(百済大寺址)を見て百済大寺の変遷を見るということをひとまず完結させることができ、また、中宮寺弥勒菩薩像、東大寺戒壇院四天王像、秋篠寺伎芸天像という私の好きな仏像ベスト3をはじめとした数々の優れた仏像も観ることができ、さらにこれも長い間観てみたいとおもっていた橘寺塔心礎も見ることができ、おまけにヒッチハイクの若者を乗せるという初めての体験もすることができ、実に充実したものだった。


28日は五反田文化センターの天体観望会に代わるプラネタリウム星空解説の日だった。コロナウィルス騒ぎで観客は大人のみ7〜8人だったが、皆さん熱心に観て聴いてくれた。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する