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2021年10月09日07:09

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勉強会講話より「解説『母なる神』」第四回(8)




(Y)すいません。昔、ひどいことを言われて、その人を今も憎んでいるのかどうかっていうのは、時々分からなくなるんですけど……。それも……どう……


 それはね、思い込みでいいです。そこまでいったら――それはね、よく――まあつまりさ、人間って不利益な考えをする人が多いんだね。つまり今の話なんかまさにそうなんだけど、よく分からないんだったら、「憎んでない」と思い込めばいいです。で、さっきから言ってるように、心なんてそんなもんなんです。うん。本当に「憎んでる!」って何か実体があるわけでもないし。「愛してる!」っていう実体があるわけでもない。で、その実体がないなんかいろんな要素をひっくるめて、実際は多分分析すると、例えば仮に憎んでたとしてもですよ、でもそれって本当に憎んでるか分かんないよ。いろんな要素――例えば心の弱さであるとか、いろんなストレスであるとか、いろんなものをグーッて集約して、一応憎んでるっていう形態を心が作ってるだけかもしれない。でも今の話を聞くと、そこはちょっともうずれてると。そこまでいってなくて、憎んでるような情報もあるけども、よく分かんないと。そこまでいったらもう思い込んでください。「憎んでない」と。「わたしはあの人のこと全く今は憎んでないし、逆に愛してるぐらいだ」と。「だってわたし菩薩だもん」と。ね(笑)。「だからわたしはあんなことは全然乗り越えたんだ」と、強く思い込む。
 で、何度も言ってるけど、思い込みって大事なんです。「わたしは菩薩である!」と。あるいは「神のしもべだ!」「修行者だ!」って強く思い込んだら、本当にそうなりますから。だからそれは何度も言うけど、そのような曖昧なときって、逆に言うとチャンスです。「あれ? 憎んでんのかな?」ってこのレベルまできたら、「憎んでない」と(笑)。「わたしの中から彼への憎しみは完全に百パーセント消え去った!」と。
 で、ここが大事なんだけど、この聖なる誇りを持つんです。聖なる誇り。つまり、「わたしは菩薩だから、そんな憎しみなんてあるわけないじゃないですか!」っていう聖なる誇りを持ってると――実は憎しみも少しはあったかもしれないよ。実はあっても、それが顔をもたげたときにバッて切れるんです。いつも言ってる、ちょっと背伸びするような感じなんですけどね。ちょっといい意味で、「武士は食わねど……」じゃないけども、プライドを張ってるっていうかね。「いやあ、わたしに憎しみなんてあるわけないじゃないですか!」と。ちょっと出そうになったら、それを見えないようにっていうかな、誰も――誰もっていうかみんな見てるわけじゃないけど、誰も気づかないように、バッて切るわけだね。「憎しみなんてあるわけ……あ! クッ……あるわけないじゃないですか」――こういう感じ(笑)。
 で、もう一回言うけども、もう目の前で、「本当に憎い!」ってなって、闘ってるときはそこまではできないよね。それはもう明らかに憎しみの情報があって、それを慈愛とか、いろんな誇りとかで駆逐してる段階だから。これはもう壮絶な戦いですよね。じゃなくて、どうなのか分かんないみたいな状態だったら、これはもうチャンスです。もうほとんど勝ったようなもんです。あとは思い込みだけでいいです。
 で、それを、さっき言ったのは、多くの人は、「どっちなんだろう? 憎んでるのかな? 憎んでないのかな? やっぱ憎んでんのかなー?」みたいなね(笑)。利益のない発想っていうか。うん。それって皆さんも経験あるんじゃない? わたしも経験ある。経験あって反省したことがある。つまり、なんかどっちにもとれるような感情のときってあるんだね。で、なぜか悪い方とっちゃうときがあるんです(笑)。とらなきゃいいのに。とらなきゃいいのに、悪い方をわざわざとって――それはさっき言った魔的なカルマとも関係あるかもしれないけど。自分に真剣さが足りなかったり、念正智が足りなかったりしてね。
 もう一回言うけども、どうしようもないときってある。もちろんそれはそれで駄目なんだけど、例えばどうしようもなく怒りが出ちゃったとか、あるよね。で、そうじゃないときってあるじゃないですか。どうしようもなくないんだけど、なんとなくムカムカしてきたと。でもなんか正しい考えで抑え込めそうな気もすると。でも「まあいっか」って感じで怒っちゃうわけだね(笑)。これはもう本当にもったいないっていうか。だから何度も言うけど、そのような曖昧な感じのときっていうのは、思い込んでください。で、皆さんなら分かると思うけど、この思い込むっていうのは、それは正しくも嘘でもないんです。なぜかっていうと、もともとこのアイデンティティっていうか、個人性っていうのは存在しないから。例えば、「本当のYさんはどっちなんだ?」っていう話は成立しないんだね。「本当のYさんはじゃあ憎んでんの? 憎んでないの?」「いや、本当のYさん、ないから」っていう話なんだね。でも、その実体のないものに実体をのせて、「実体のあるわたしが憎んでるんだ!」ってなってしまう。だったらその逆の発想で、それが弱まってきたら、「実体のある憎んでないわたしが本当なんだ!」ってやっちゃった方がいいんだね。どっちも本当じゃないんだけどね。どっちも本当じゃないんだけど、そうやることによって、自分の中の少なくともそういった錯覚みたいなのがどんどん消えていく。で、いつも言ってるけども、幻だけども素晴らしい幻が出来上がります。Yさんっていう実体はないんだけども、聖なる幻っていうかな。実体はないけども、真理のデータで満ちた幻のYさんが出来上がるんだね(笑)。こうなったら素晴らしい。
 で、何度も言いますが、すべては思い込みです。これはちょっと極論になっちゃうけど、すべては思い込みです。しかもそれは、真剣なる完全なる思い込みじゃなきゃ駄目ですよ。完全なる思い込みね。つまり完全なるっていうのは、最初は弱くてもいいんですけども、完全なる方に近づけていく。つまり、さっきから言ってるように、「わたしは完全な菩薩だ」と。「わたしは神しか頭にない」と。あるいは「衆生への慈悲しか頭にない」と。そういうことを――完全なるって言ってるのは、なんとなくそういう言葉だけを繰り返して、でも実際には心がいろんなとこに向かってるようじゃそれは駄目なわけだね。じゃなくて、本当に心から思い込む。「え、そうに決まってるじゃないですか!」と。「それ以外何があるんですか!」と。グーッて思い込んでたら、それを例えば皆さんが、一生とは言わなくても、五年でも十年でも二十年でも続けられたら、もう相当に変容します、皆さんは。それだけ心の力って強いんだね。だから徹底的に思い込んでください。


(Y)はい。ありがとうございました。

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