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2020年05月25日16:00

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「焼け跡の高校教師」大城立裕(集英社文庫)

<文庫カバーの内容紹介より>
戦後占領下の沖縄。大学を中退し米軍で翻訳作業に就いていた大城氏は、教師に転職。
赴任先は、教科書も校舎もない高校。
「国語」ではなく「文学」を教えたい、自分が書いた創作戯曲を生徒たちに演じさせようと考える。物はないが、もう戦争はないという開放感に満ち溢れた時代の少年少女と教師を描く。著者が自分の一番輝いていた時と回想する自伝的小説。
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大城氏は沖縄出身で初の芥川賞受賞者であり、長く文学活動を続ける一方、沖縄県庁職員、沖縄県立博物館長と、地元・沖縄に貢献してきた文化人。
わたしは実を言うと大城氏の作品は、新聞等に掲載された随筆や、数年前に川端康成文学賞を受けた「レールの向こう」ぐらいしか読んでいないのだが、本作は大城氏が22歳で赴任した高校での日々を描いていると知り、興味を持った。

自伝的小説、と銘打っているが、どちらかというと、当時を回想する実録集の色合いが強い。生徒たちの書いた作文、大城氏が脚色した、演劇の脚本もそのまま掲載されており、当時の教育を知る上でも、ある意味貴重な記録ではなかろうか。

沖縄は地上戦の舞台となり、街は焦土と化し、県民は大変な被害を受け、アメリカ軍に占領された。
そんな沖縄はともすればネガティブなイメージで語られるけど、ここに描かれているのは、そんな中でも、新しい時代の中で、はつらつと生きる若者の、まぶしいような熱量である。
22歳だった大城氏は、生徒たちとも年齢が近く、教材は乏しくとも、自分主体で物事を考えることへの大きな理想を持っていた。
それは「自分の思想を国家にからめとられ、打ち砕かれたこと」へのわだかまりがあったからだった。

大城氏が脚色した石坂洋次郎の「青い山脈」は、なんと密貿易船で手に入れた知人からもらったものだったという。
生徒たちの性格をきちんとみきわめて、配役を決め、一体となった練習。
娯楽の少ない時代だったからかもしれないが、高校生たちの演劇は評判を呼び、地元の新聞社から招待されて沖縄の演劇コンクールにも出場、みごと優勝する。

卒業する生徒は、教師の胸に顔をうずめて号泣するような、そんな光景も見られたという。
ここには、もう今は見られることのない、たしかな教師と生徒の結びつきと信頼関係が熱烈なほどあったのだ。
もともとは大学で経済関係を専攻していた大城氏は、その方面の仕事をするため、二年間だけ、という約束でできたばかりの高校で「文学」を教えたのだが、教え子たちとの交流はその後何十年にもわたって長く続く。
そしてその二年間が、人生で一番輝いていたのだ、と。

高校時代は「黒歴史」と自称し、あまり思い出したくもないわたしからすれば、大城氏と生徒たちの青春はとてもうらやましい。
それは、彼らは学校で学ぶことが生きることそのもの、だったからだと思うのだ。
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