読書好きの方なら、菊地信義の名前はご存じだろう。
何十年も数々のブックデザインを手掛けてきた、日本を代表する装丁家。
本のタイトルの書体に斜体をかける、独特のデザインなどは「講談社文芸文庫シリーズ」でもおなじみ。
その菊地氏の仕事ぶりに密着した、広瀬奈々子監督によるドキュメンタリーである。
菊地氏が装丁を手掛けた書籍は1万5千冊にのぼるという。
わたしの蔵書の中にも、もちろんあります(^^)。
作家・古井由吉氏の一連の著作の装丁を担当しているのも菊地氏。
冒頭、菊地氏が、写植文字とピンセットと定規を使って、手作業でデザインをするのを見て、ちょっと驚いた。
てっきりパソコン画面上でデザイン作業をするのかと思っていたからだ(仕上げは、アシスタントの女性が、PCに落とし込んでいたが)。
だからある意味、わたしはなつかしい思いにとらわれた。
かつてグラフィックデザイナーは、のりとピンセットが必需品と言われ、手作業でレイアウトしていたからだ。
わたしは広告代理店に長らくいたので、デザイナーがアナログの手作業から、マッキントッシュを導入して、PC画面上でデザインを作る変遷を見てきている。
だから菊地氏の仕事ぶりは、デザイナーの原点を見る思いだ。
数十年に及ぶ作品の数々が紹介されていくが、書籍本体を包むカバーに工夫を凝らしたり、函に独特の意匠を加えたり、これらは印刷所泣かせかもしれないな。
しかし、年齢を重ねても、氏の仕事はますます大胆に表現されていく。
あえてタイトル文字は、大きなものと小さなものを並べたり、本文をタイトル文字に加え、表紙の中にすべりこませたり、うすいカバーをかけて、下の表紙に印刷された文字が透けて見えるようにしたり。
これぞ、というフォントを徹底的に探したり。
アイディアは、尽きることなく湧いてくるようだ。
「たくさんのデザインを考えていくと、多くなりすぎてだんだん自分が空っぽになってしまう気がするんですよ」とは菊地氏の弁。
ある本では、帯に和紙風のトレーシングペーパーを使った。
漉いた和紙の中のまだらのように、文様が入っている紙なので、1万冊の本、すべての帯は、ひとつとして同じ文様がないのだ。これも面白いアイディア。それを嬉しそうに語る菊地氏の表情がいい。
わたしはなんとなく、菊地氏は神経質で寡黙な人を想像していたのだが、映像ではその正反対の、ブックデザインを愛してやまない、猫好きの快活な男性だった。
「デザイン、ってことばはあんまり好きじゃない。『こさえる』って言葉があるでしょ?デザインとは設計ではなく、誰かのためにこしらえるもの、だと思うんです」。
お気に入りの喫茶店で、コーヒーを楽しむ菊地氏は楽しそう。
ブックデザインを考えるだけでなく、菊地氏は印刷所にも立ち会って、色の発色にも気を配る。本は手に取る物だから、手触りも重要な要素。
紙質にこだわり、もう生産中止が決まっている印刷用紙を発注する。
試し刷りを見ながら、工場の現場で、赤の発色を変えてもらい、作業員も慎重にインクの調整をする。
オートメーションでまたたくまに本が出来上がっていく印刷所もあるけれど、ある製本所では、まったくの手作業で、社員たちが一冊一冊、折りを入れてカバーを本にかけていく。
こうしてみると、電子書籍が増えてきたとはいえ、本とは、長い様々な工程を経て、手間暇かけて読者の元に届けられるのだな、と改めて感じた。
装丁をはじめそれらをふくめてが読書なんだと思う。
エンディングでは、スタッフの名前が流れる中、背景にはさまざまな印刷用紙が使われていた。印刷物制作には、わたしも仕事で少なからず携わっていたから、見ながら、ああ、これはマーメイド、これはつむぎかな、これはレザック? といろんな種類を思い出すのも楽しかった。
(1月21日、第七藝術劇場)
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