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2021年05月24日21:09

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ラトルのベルリンフィルデビュー(2)

私はウィーンフィルとベルリンフィルに思い入れがあり、まあ音楽雑誌に踊らされてミーハーなだけだが、昔はウィーンフィルが断然よいと思っていたが、最近はベルリンフィルが好きだ。
1週間でどちらも聴くというのを、コロナ前にやったが、曲がブルックナー8番だったのもあるが、ベルリンフィルのほうが印象的だった。ウィーンフィルは伝統芸だが、新鮮味がなくなってしまった。

ベルリンフィルが首席指揮者を選ぶということがあって、それは、最近はそうでもなくなったが、クラシック音楽界最大のイベントだった。
チェリビダッケが追放されて、なぜ数回登場のカラヤンになったか、また、カラヤンが政治力を発揮して、終身での待遇を勝ち取ったというのもおもしろい。
カラヤンが喧嘩別れで退場した直後に亡くなり、このときの楽員投票がいちばん盛り上がった。

このときは、絶頂期だったカルロス・クライバーが満場一致で選出というところが、クライバーの辞退があったという伝説があるが、どの時点でどう断ったのかは私もうろ覚え。
それ以外の指揮者も、バーンスタインの辞退はあったような気はする。

先日、どこかのブログで、このときの投票が詳しく書かれていた。
アバドは、いちど落選していたが、誰かの辞退で再登場してから勝ち残ったというのは初めて知った。
また、マゼールが執心したのは知っていたが、決選投票になった、つまり、2位だったのはハイティンクというのも初めて知った。ハイティンクは、最近ついにその真価を知ったが、自分の中ではただのニュートラルな演奏をする人だったが。

この投票で一番驚いたのは、ラトルがすでにかなりの高い順位であったこと。
1989年というと、ラトルはまだ34歳で、ウィーンフィルにも登場していないぐらい。
なぜこんなことになっているのか?

実は、カラヤンも、今回のペトレンコもそうだが、まだあまり共演していない人の新鮮さを求める心理はありそうだ。
それにしても、このときのラトルの高評価はというと、かなり大きいのが、1987年の共演に違いない。
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