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2021年01月24日19:25

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2017年の欅坂

アイドルはidolで、もともと偶像という意味だけれど、ベーコンのイドラとも語的に通じるらしい。先入観や偏見、正しい認識を妨げるもの。

2017年(もしくは2016年)の欅坂、という言葉を思いついて離れないけれど、それは、1年に1度発売されていたブルーレイの、2017年版と、当時のNHKのSONGSでのダンスが、私のアイドル観を変えてしまったから。
いま見返しても、キラキラと輝いて、発達途上で、素直で、この子たちにはこの先どんな可能性があるんだろうという気持ちになる。

それがいまや。
主力の長濱ねるが卒業、今泉祐唯がメンバー間イジメで卒業、結婚報告翌日に相手のYoutuber児童ポルノ脅迫で契約解除、ホストクラブ通いで卒業のメンバーなど、次から次と不祥事。
センターの平手は、2019年を通じ、死んだような表情でステージに立ち、2020年最初に脱退。
残りメンバーで櫻坂46に改名。

昨年末のFNS歌謡祭で、平手のソロと、櫻坂46のデビューを同日にみた。
平手の曲は悪くないが、なんだか激しいK-POPのような感じ。女子高生の制服でにらみつけるような姿が唯一無二で印象的だった。それは仕方ない、いつまでも校舎の窓ガラスを割る歌を歌うわけにはいかない。学生でないと、同情抜きの犯罪者になるのだから。

櫻坂のデビュー曲は、「誰かのせいにするな」という「Nobody’s Fault」という曲。
平手のは、「仕方なく踊るしかなかったんだ」という被害者的に世界を見つめ、それでもいま苦しむ子たち(=過去の自分)のために踊り続けるんだ、というような内容。
2曲がちょうど会話するような構成になっていて、どちらも秋元康の作詞。
どちらも、傷からのリスタートという勢いはある。どっちかというと、櫻坂のほうがよかった。これは意外で、平手以外ほとんど関心なかったのだけど、だんだん変わってきた。
それでも、どちらも2分の1を追いかけようというほどの魅力は感じない。

つくづく、あの輝きは幻だったんだなと思うけれども、桜のようにいきなり咲いて、いきなり散ってしまう。学者や評論家のように正しい認識を定着・発展させようとしたって、気まぐれに変わってしまっている。
それはそれでいいか、この世は移ろい、相手への願望は自分勝手で、関係もいつか別れていくのだから。
永遠を求めて、いま華やかなアイドルを愛でる必要はないのだから。
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