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2020年09月01日00:15

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池江璃花子さんの復帰

水泳に全く詳しくない、というか、自身は水中におかれると溺れるのだけど、池江さんの、白血病闘病のドキュメンタリーをみていた。
そこで、「あきらめなければ夢はかなう」的な、きれいごとを語るには辛すぎる、トレーニングした筋力がゼロになる激痩せぶりを見た。頭髪も抜けているのでウィッグ。毎日吐くような生活。

それでも、オリンピックへのプレッシャーから、病気がわかったときはホッとした面もあったのだという。
闘病中は、水泳をとったら自分は何もない人間なのかな?、と思ったという。
1年以上ぶりに、許可が出てプールに入ったときは、心から嬉しそうだった。この場面を見たときは、けっこう泣いてしまった。

だから、今回の1年7か月ぶりという復帰戦も、どんな結果でも楽しむことにしていたという。

日本記録を連発する若き天才。普通にいったら、東京オリンピックでメダルでも取って、感動をありがとうとなっていたのだろう。
しかし、それは2つのまさかによって実現せず、しかし、もっと魅力的な一人の人間が再生していた。

私自身もいろいろなことがあって、自分ではかなりハンデが多い素質だったと考えている。
最近ようやく、わりと普通にまともな社会人として成立し、健康的にもまずまずになってきた気がする。しかし、そこからいろいろやるには遅すぎる、つまりハンデを直してスタートラインにもっていくだけで大変な時間と労力を使ってしまったと考えることもできる。

だが池江さんの映像を見ていて、価値観が変わったこともある。
もともと素質があって、あっさりできてしまうことの価値はどれだけだろうか。
ハンデがあって、それがゆえに、ひとつひとつ噛みしめながら向上して、どこかまで、もしくはそれ以上にできることの価値はどうだろうか。
その楽しさや、感謝の心の深さはどちらが上なのだろうか。

貧しきものは幸いであるとか、病めるものは幸いであるとか、やはりきれいごとにきこえるのだけど、またニーチェは奴隷根性と揶揄したそうだけど、陰から生まれる価値を考えない人生は味気ない。
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