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2020年08月10日01:23

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幻想交響曲あれこれ

ベルリオーズの幻想交響曲は、名曲とされていて、CDもたくさんあるが、苦手なままに聴き飽きてしまった。
特に、後半の大騒ぎは俗っぽいというか。

アバドがベルリンフィルに最後に登場したライブが、ベルリンフィルレコーディングスで、WAVファイル24ビット48kで買える。
音はよいし、アバドのベルリンフィル就任は、自分には大きなニュースで覚えているので、最後のコンサートも聴いてみたい。しかし、幻想交響曲というのが気に入らずに長く買っていなかった。

手元にCDがけっこうあるので、リッピングして聴いていたら、すっかり虜になってしまう。これはストーカーの曲だが、恐ろしい固定観念と粘着ぶりが乗り移ってクセになってしまうというか。
ベートーヴェンのすぐ後ぐらいなのがすごいといわれていて、マーラーと遜色ないというか、マーラーの「アルマの主題」とかは、幻想交響曲無しにあったのだろうか。

1楽章は難解だが特に凄い。
これは世界へのラブレターだ。恋とか愛というものが、一方的で理想化されたものであるのは、端的に言って幼いナルシスティックなものかもしれない。しかし、それこそが本質だという考え方もありそうに思う。
とにかくクリスタルで熱く儚く、その心情を音化したオーケストラ音楽では無類の傑作であるし、純化された憧れが絶望に変わり錯乱していく展開もおもしろい。

No quantity of hearth or freshness can assignment what a man will save up in his ghostly coronary heart.
(どれほど暖炉に火をくべても、みずみずしい現実の世界があらわれたとしても、一人の男が、その虚ろな心のうちに積み上げるものにはかなわない。)

Great Gatsbyの好きな一節。
ギャツビーが、執着する憧れのデイジーと、5年ぶりの念願の再会を果たす。語りてのニックは、デイジーがギャツビーの理想に届かない場面だっていくつもあっただろうという。でもそれはデイジーの落ち度じゃないと。ギャツビーの巨大なillusionの力のせいだと。
幻想交響曲の1楽章は、まさにそれを思い出させるのだ。
どうしても届かない、届かないけれど手を伸ばす行為(ギャツビーの手は震えている)は、孤独で滑稽でもあるけれども、この現実を超えて美しいものでもある。
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