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2020年08月03日00:41

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グレート・ギャツビーの翻訳について(3)

グレート・ギャツビーの英文は、少なくとも3種類はある!

そもそもは、無料サンプルをダウンロードして読んでいたものが、妙に読みにくくて、文法も納得いかないところがある。滅びたような接続詞の単語がある、といったところで、これは「夜はやさし」だったが、他をあたると、読みやすいものが見つかった。俺が読んでたのはこっちだ。
夏目漱石とか小林秀雄でもそうだ。旧字体が改められて、普通に文庫本で売っていたりするのだ。

構造や時制がわからないところは、数時間かけてでも正しいものを考え抜くべしというのが持論だったが、こうなると外国語はもうお手上げ。たかだか100年前ですらない書物でもこうだから、やっぱり言葉の変化は激しいということ。

少しがっかりしていたのだが、ギャツビーは、まあいえばフィッツジェラルド自身が書いたものを改めて読めるということ。
気を取り直して、一番古いであろうものを読んでいると、単語レベルでいろいろ発見があった。

これで思い出すのは、指揮者が、作曲家のオリジナルの楽譜を研究して演奏するみたいな作業。まさしく、そういう発見があるのだ。
これはいろいろ書きたいが、たかだかSNSの規模ではなかなか具体例を書く労力は難しいのだが。

そのほかに、日本語訳も4種類、サンプルでダウンロード。
すべて読み比べて、つくづく翻訳とは自由な作業だなと。いや、悪口である。主観的にどうやってもいいのだ。アイアムアキャット、吾輩は猫であると。

グレートギャツビーについては、序文とラストが名文とされていて、アメリカの教科書にも載るらしい。
しかし、この序文が厄介な代物で、論理的な整合性が取りにくい。プラスの部分なのかマイナスの部分なのかが不明瞭で転々とするのだ。感覚的に主張や情感が展開していく。私は全然わからなかった。

しかしこれが、オリジナルのものを含めてよく読んでいると、初めて分かった気がしたのだった。予備校和訳みたいな、論理の整合性を一生懸命考えるのも、ときには悪くない。
うれしくて、自分訳を作っているところ。お盆休みで、ここに載せられたら載せたいが。
ほんとは1年ぐらいかけて全私訳を作りたいが、まあ老後の楽しみかな。村上春樹が同じことを言っていたが、あちらはボランティアでなくできてうらやましいが。

似た作業として、平林直哉氏の、フルトヴェングラー音源復刻、グランドスラムレーベルというのがある。
最近も何枚か入手して、たとえば、1952年や54年の、EMIの英雄や運命。かつてのLP起こしをやめて、出所不明のオープンリールの復刻になっているが、手元のEMIのSACDリマスターなどと聴き較べて、あきらかに解放感や躍動感が平林復刻にはある。
正直、EMIのは、「ああ古い録音じゃ演奏なんかわからないな」とゴミ箱に捨てるような感じが、許容範囲にまでなるという、そういう決定的な違いとさえ感じた。

変にエゴを入れて最新機器でいじくった編集をせず、オリジナルを極力尊重した復刻なのだと思う。
歴史ある大規模な会社の公式盤を受け入れないで、とても個人的で地味な作業だが、世界にはこういう仕事が必要なんだと私など思うのだ。
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