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2020年06月15日12:59

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クルレンツィスの運命(2)

ベートーヴェンの運命と聴いて浮かぶのは、フルトヴェングラーの、第二次世界大戦の悲劇と関係する苦しみ。

古楽器や奏法、小編成で、むしろ新鮮な衝撃を与えるグループが、ガーディナーやブリュッヘン、ヤルヴィやアーノンクールあたり。他にもいるがいま思いつかない。

カルロス・クライバーは、両者の中間的なポジションで、ドロドロした精神性は薄まって、リズムの快感が強調。ウィーンフィルの伝統的ではあるがモダン楽器の音色の美しさもあって、一世を風靡した。

アバドは、フルトヴェングラーの精神を受け継ぎたい意外とロマンティックな人だが、晩年に小編成で新楽譜で独特な全集を出している。
ラトルもクレバーで、ウィーンフィル、ベルリンフィルと、モダン楽器の美しさがありながら新鮮でも奇抜すぎない模範解答を探している。24ビット192キロWAVの録音も模範的に聴ける。

いろんなことがあったなかで、クルレンツィスはどこに位置するのか?

運命は聴いてないけど、アーノンクールやブリュッヘンに一番近い気がする。
特にアーノンクールは武骨で、スタイルにはこだわらない。その分、ときどき作曲家の精神の骨に直に触るようなときがある。オリジナル楽器というのはファッションではなく、作曲家に近づく手段だと言いたげだ。
クルレンツィスは似たところがあるが、ルックスに恵まれ、視覚的ファッション性には過去最高にこだわる。そこが、音楽的にも奇を衒って感じられる面があるかもしれない。

クルレンツィスは、ライナーノートに哲学的な文章を寄せるらしく、ハイレゾダウンロードの私には読めない( ´∀` ) ライナーノートもダウンロードさせるべきだ。
ただ、レコ芸の評論で、「カタルシス」について書いていると読んだ。悲劇による精神浄化作用、というか。便通にも使う。
さすがに頭がいい。こういう指針なら、普遍性をもってブレないだろう。
部分的には、3楽章後半のいわゆる「象のダンス」が過去最高にキレキレですごい。

しかしなんというか、上記の歴史の後で、斬新で普遍的な感動を作り出すのは難しい。
むしろ、楽譜の解釈や楽器や奏法なども超えて、戦争の悲劇とか、指揮者個人の内的な危機や必然みたいなもののほうが、こころをうつこともあるかもしれない。
私にとっては、1978年のクライバーのアメリカデビュー。シカゴ響との運命が、何を考え、感じて演奏したか(させたか)知りたい。クライバー絶頂期ライブの、生命が沸き立つような明るい軽やかさと自在さ。深刻ではない( ´∀` )
MEMORIESの海賊盤は音質がマシになっているようだが、これはFM放送のためにマイクで取られているので(FM放送を本人が拒否したが、ごまかして放送してしまったとか)、もともとのテープがどこかにある可能性はある。ファンのロマンである。
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