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2020年04月12日23:57

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欅坂の東京ドーム公演

日常は、電車の人は多少減ったし、昨夜行ったご飯屋がテイクアウトだけになってたりだけど、さほど変わってはいない。
しかし、ニュースをみていると、ああもう、世界は自分の知っていた世界じゃなくなったんだと不思議な感覚になる。
転職前に旅した、ロイヤルアルバートホールからは、一時閉鎖のメールが来て、再開のメールは来ない。

これからは、何が起こるかもうわからない。
身近な人が亡くなるかもしれないし、経済は打撃を受けて、自分のところに被害が及ぶかもしれない。
自身が感染するのは、いまの生活でマスクと手洗いを注意深くしている限り、ありえないとは思うがわからない。

でも今までも、中学生のときにバブルが弾け、学歴は紙くずになり、大切な人は亡くなり、宗教は信じられなくなり、100社以上に落ち、組織作りに苦闘し、それでもやってきたのだ。
気づかぬうちのハンデや社会の不公平や経済の激動には慣れている。
これで内面が鍛えられていないなら、なんのために生きてきたというのか。

東日本の震災後も似たことが言われた。
吉本隆明氏は、原発擁護派だったので、少し叩かれながら亡くなったが、「人類はもう未知の世界をとぼとぼと歩いていくしかない」というような、最後に近いインタビューで発言があった。

震災後とかになると、テレビ住民の世界では、芸能人や歌手が集まって、絆とか復興の美しい言葉で歌ったり騒いだりする。
実際みていると泣いてしまったりすることもあるし、偽善でも金を集めた方がいいと思うけれど、本当に、内面の深い部分からの悼みや感動があるのかわからない。
デビット・ボウイやスプリングスティーンの東ドイツ向けのコンサートみたいなレベルを期待してしまうからだ。
今回は、そういう集まり自体が封鎖されているのだ。
それは少しだけ、個人的には好ましい。

ところで、欅坂46の東京ドーム公演ブルーレイを見終えた。
発売から2か月以上みているのだけど、最後の平手のソロ曲のみ置いてあった。

この公演は、ブルーレイの画質や音質、演出や撮影含め、いまの日本のエンターテイメント業界の最先端という気がする。31年前の、ひとりで転がりまわって声を振り絞っていた尾崎豊の東京ドーム映像とは隔世の感がある。
このレベルを見慣れてしまうと、同じ欅坂の2017や2018年の野外ライブは、おねえちゃんたちが集まってワアワアやってるように見えてしまう。それぐらい完成度が上がってきた。

その後脱退した平手のパフォーマンスをみていると、やはり、初期の明るい少女っぽい曲は輝きを失い、ダークな曲は鋭いまなざしで稀有の存在感をみせる。

「世界には愛しかない」、冒頭は平手の語りなのだけど、マイクをつけているのに語っていない。カメラも、ごまかし気味に撮っている。他のメンバーは語っている。
たかだかこんな語りをしないのは、プロとして失格だ。でも、いまこのセリフを語る気分じゃないのでというのはこだわりとも思える。その葛藤の中で脱退したとわかるシーンだ。

一方で、「避雷針」「ガラスを割れ」「アンビバレント」など平手向きの曲は、冴えているし、意外にも「風に吹かれても」では笑顔がある。

ラストは、これだけの大規模なグループ公演にしては信じられない、ソロでのアンコール。
女子高生制服でダンス中心で、静かな曲で終わる。
少し涙をためて「ありがとうございました」と深々とお辞儀。それでブルーレイは閉じられる。

なんとも不思議な構成というべきだが、このとき平手自身も、一部のスタッフも、ブルーレイ編集者も、脱退を知っていたのだ。
だからこの挨拶は、あきらかに卒業とか、引退とか、ある種の死を意味するものであって、アイドルの先輩山口百恵を意識したものだったのだ。

そして平手友梨奈は伝説になるのか。
しかしこの人が強運なのは、脱退後ちょうどコロナで、あらゆるアイドルグループはどのみち公演中止、平手だけが消えたということはない。
また、あまりにもダークな世界で、この人の真に暗い雰囲気は脚光を浴びる可能性がある。
もうたいてい驚くこともなくなった私を、また驚かしてくれたらうれしいのだけど。
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