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2018年09月10日14:04

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ラトルのコンサート(1)

ラトルは謎の指揮者だ。
ベルリンフィルの主席になったときはビックリ。ただ、ちょこちょこ聴いていくと、たとえばウィーンでのベートーヴェン全集の1・2番など新鮮で素晴らしい。
だから納得かというと、感動しないというのがポイント。
BSの野外コンサートみたいなのをよくみるせいかもしれないが、いつも微笑んでいる。クライバーもそういうところはあるが、ちょっと悪魔みたいな感じがある。生まれ持った悲劇性があるのだ。
ラトルの場合は、知的な遊びをしている子どものようだ。いわゆる英国人の皮肉もある。

世界最高の指揮者のポストにふさわしいかというと、そうも思うし、こんなに感動しない人でいいのかとも思う。
そうすると、壮年期にロンドン響の主席に移ってしまった。ベルリンフィルをゴールにしなかった人は史上初である。
出身地で最後の大きな仕事をするということで、マンネリを避け彼らしい素晴らしい選択だと思う。

一方で、カラヤンのように団員と決裂しながら最後の5年ぐらい、音楽上は圧倒的に緊張感の増した演奏も素晴らしい。
やはりその人間臭いドラマに「感動」するのである。
ラトルは頭が良すぎるのではないか。

大して数を聴かず勝手にそう思っていた。
アバドファンなので、心理的になんとなく反発もあり、聴いていなかったのもある。

しかし少し前、ラトルとロンドン響の来日公演を買ってしまった。
29000円と手数料である。

ポイントは
・フェスティバルホールのリニューアル後1回行っただけで、クラシックは初めて。9列目なのでかぶりつき派の私もなんとか。
・マーラー9番。人生でいちばん凄いと思っている曲のような気もするし、聴き飽きたような、実は違和感もあるこだわりのある曲。
・バーンスタインの交響曲「不安の時代」、独奏がツィメルマン。これは聴いてみたい。
・コンサート仕事でほぼいけない中、これは日曜日。
・かつてクライバーとウィーンフィルでフェスティバルホールのチケットがあったのにキャンセルになり、高価なコンサートでリベンジしたい(過去にムーティとウィーンフィルでやったことはある)
・ロンドンに3年前行ったので愛着あり。

これぐらい重なったが、ラトルを知りたい気もあった。
ヴァイオリンのヤンセンは絶対聴きたかったが、ピアノのほうになってしまった、というとツィメルマンに失礼だが。

先日BSで、ベルリンフィル最終コンサートとドキュメンタリーをやっていて、ちょうど昨日Eテレで再放送していたが、なるほどというところがいくつもあった。
医か私なりの言葉に換えて書くと、

・ハイドン大好き。古典的でベタベタせず、ウィットに富んだものが本領なのだろう
・ブルックナー8番のリハーサルで、「このオーケストラはブルックナーの響きが良く出るのですが、その分重々しくなりすぎる」と修正させる
・楽団員が「指揮者は時代が作るもので、フルトヴェングラーとラトルでどちらが優秀かという問いは間違っている」と言う

マーラー9番というと、感動の極致のような曲で、人間が死に向かって格闘する。
バーンスタインの没入ぶりは圧巻だし、カラヤンもライバル心むき出しに神秘的な演奏、アバドは知的で端正とされているが、戦争を知っている世代というか、ふと気づけばそうとうセンチメンタルである。
ラトルは、肩透かしのような構造分析になるだろう。実際に、ラストコンサートの6番は、途中まで聴いたが感動的ではなかった。

しかし最近思うのだが、マーラーの研究書などを読んでいると、アクの強いアーティストのおっさんが、若妻に溺れて、浮気されそうになって執着し、心臓病を宣告されてあわてふためき、というようなのが、9番、大地の歌、10番であって、ちょっと鼻持ちならない世界だ。
若い時や、時代がオウム真理教みたいな事件をつくっているような不安定なときはいいが、いまはラトルが正解なのではないか。

感動しないマーラーはマーラーなのか、わからないが9月23日を待とう。
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