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2016年06月13日18:31

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宇野功芳さんとの和解

クラシック音楽評論家の宇野功芳が亡くなった。
不死身かと思うような活動ぶりだったのではあるが、不死身ということはないとわかる。

他所のコメントで書いたのだが、けっこう個人的な内容なので、自分の日記に移すことにした。

私のクラシック音楽観の49%ぐらいはこの人と共有してきた気がする。

講談社現代新書で出た名曲名盤的な本が大ブレイクしたのではと思うが、私は諸井誠の「交響曲名曲名盤100」がバイブルだったので、諸井氏が推すカラヤン・ショルティ・アバド・レヴァインあたりの権威を、現代風の無機的なものだと、アクの強い文章で一刀両断した宇野氏はどうしても許せなかった。
大学時代に、気取ったクラシック青年と知り合いだったが、彼が宇野氏の信奉者で、ハイドシェックなどの怪しい?CDを持っているのにも失笑していた。
とはいえ、カラヤンのスタジオ録音のベートーヴェンがつまらないとか、小沢征爾より朝比奈隆の不器用さに感動するとかいうのは、同意できたので、どうにも気になって、隠れて何冊も読んでいた。

高校生から大学生にかけて読んだため、自分の発想自体が評論家的・アマチュア主義的になったところもあり、そういう意味では、自分を不良(ワル)くした大人の一人かもしれない。

アバドの若手室内オケとのハイドンを褒めるなど、嫌いな演奏家をたまにもちあげるとよい味があった。

亡くなったことで、単純に和解した気がする。
こういうことはあるのだなと思う。
こういう、精神が自由で、権威におもねらず、一生懸命活動してる人は本来的に好きだったのだ。

宇野評価軸のひとつで、カルロス・クライバーは「真の天才、ただし、深みは往年の巨匠たちに及ばない、指揮姿が美しすぎて音楽が過大評価を受けている、オペラのほうが良い」みたいなことになっている。
私はクライバーの信奉者なので、この「ただし」以降が許せなかったし、気にもなっていた。

最近、クライバーとシカゴ響の「運命」海賊盤を久々で気まぐれに聴いて、強い印象を受けた。
これはマスターテープを変な加工なしで発売できたら、有名なスタジオ録音を、ラディカルさでは一蹴するだろう。

気になっていた「大地の歌」(1967年ライブ録音で、初期海賊盤はひどい音)の正規?盤と、椿姫(1985年あたりの客席録音?)を購入。

「大地の歌」は、聴ける程度の音になっている。
「椿姫」も、割れているが臨場感のある音で、流れるような音楽性は伝わる。
調べると、クライバーの演奏記録は、ほとんどがオペラで、オケコンサートは数えるほどしかない。
宇野氏の言うように、オペラが本領の人だったのは確かだと、はじめてわかった。

オペラはわからず、再生環境もよくなかったので、聴かずにとっておいていた。
ミュージカルを聞き込んだことで、オペラがわかるようになった。

もう、若いころのように、クライバーや宇野氏のようなカリスマに強い影響を受けることもないだろう。
演奏は、それこそ世界に一つだけの花であって、ベスト盤を競うことにさほど意味もないとも気づいた。
しかし、まだ未聴の名曲名盤の宝庫がオペラにたくさんある。
クラシックの趣味のよいところかもしれない。
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