mixiユーザー(id:52595329)

2020年04月05日23:08

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備中松山城 4

廃藩置県によって藩政は幕を閉じ明治6年(1873年)には廃城令によって御根小屋が取り壊される。山城の建物は新政府により7円(現在の5万円)で商家に売却された。しかしあまりにも人気のない不便な所に構築された城郭は破却される事もなく放置され自然荒廃していく。

それから半世紀あまり。既に元号は大正を終えて昭和となり幾年たったある日の事、高梁中学校の教論であった信野友春が朽ちいくばかりの城郭を訪れた。彼は城内を詳細に調査して「備中松山城乃其城下」を著して販売。これにより忘れ去られていた城の存在が広まり修復の機運が高まっていく。そして当時の高梁町は1万8千円の予算を組んで修復事業を開始。夏休みであった事もあり学生たちが勤労奉仕という形で動員されバケツリレー方式で瓦を山頂まで運んだという。

昭和16年(1941年)、天守、二重櫓、三の平櫓東土塀の3棟が国宝(旧国宝。現在の重要文化財)指定され昭和25年(1950年)には文化財保護法の施行で重要文化財に指定された。昭和31年(1956年)国指定史跡。平成6年(1994年)から本丸の整備が行われ本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀が復元。現在に見られる姿となる。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月06日 05:00
     不便な山上にあるため、破却されなかったのはラッキーでしたね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月06日 18:47
    山城にこれ程の遺構が残っていたのはその様な理由があったのですねexclamation
     貴重な山城遺構が保存されて良かったでするんるん
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月07日 00:42
    > mixiユーザー 
    半世紀以上放置されていて原型をとどめていたのは築城技術のなせる技でしょうか。

    ただ内部の柱は白蟻などにやられて切接いでる部分もありましたが、その断面も見事な物でしたよ。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月07日 00:44
    > mixiユーザー 
    これからも保存に力を入れていって欲しいですね。

    絵図で岩の上に天守が描かれててずっと気になってましたが現地に行くとそのまんまでしたw
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月12日 11:46
    地域の方々のお陰で、今日の素敵なお城が見れるんですね!
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年04月12日 13:33
    > mixiユーザー 
    やはり興味の目を持つ事が大事なんですね。修復事業参加してみたかったです(笑)

mixiユーザー

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