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2020年01月21日00:28

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大阪城 千貫櫓

多聞櫓と土塀が繋がる千貫櫓は既に紹介した通り織田信長がその名の由来となっているが、現在のものは豊臣氏滅亡後、江戸幕府によって再建がなされた際の元和6年(1620年)の物で同じく二ノ丸に現存している乾櫓と共に建造以来一度も焼失などで失われる事がなかった城内最古の建築物となっている。昭和28年(1953年)に国の重要文化財指定。

昭和35年(1960年)から翌年にかけて解体修理が行われた際に「元和六年九月十三日御柱立つ」と上棟式の日が記された墨書が発見されている。

工事責任者は茶人としても知られる小堀遠州であった。千貫櫓は石山本願寺を得て豊臣時代の大坂城にも存在しており、豊臣秀吉が櫓内から馬揃えを見物したと伝わっているが当時の具体的な場所は不明である。江戸時代には大坂城代であった青山宗俊が櫓内において夕涼みや配下の者たちと料理会を行っている。ちなみに当時の単位だと千銭で一貫、現在価格にして約15万円であるため、千貫は現在価格で約1億5千万円にもなる計算である
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