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2019年12月12日23:16

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健勲神社(岐阜信長神社)

健勲(たけいさお)神社は明治2年(1869年)に「日本が外国から侵略されなかったのは天下統一を目指して日本を1つにまとめた織田信長の功績である」とした明治天皇によって天下統一や朝儀復興などを進めた信長を称えるために健織田社(たけしおりやたのやしろ)として京都府京都市に創建されたものである。健勲を「けんくん」と呼ぶ事も多い。

岐阜市にある健勲神社は縁の深いこの地に勧請したものである。創建されたこの地は信長が楽市・楽座を開いた場所であり、また市神を樫森神社の御神木に祀ったという伝えから橿森神社の境内に勧請された。ここでは「岐阜信長神社」と呼ばれる事が多い。

神社の前には「御薗(みその)の榎」がある。これは永禄10年(1567年)に美濃国を攻略した信長が経済政策として行った楽市・楽座を守護する市神として祀ったものである。信長より以前に斎藤道三によって城下の入口となる上加納村には楽市場が存在していたが。信長はこれに制札を与えて商工業者の保護・育成を行いその権利を認め発展させた。岐阜城下にはこうした楽市・楽座が4箇所開かれていたという。

これにより繁栄した岐阜の城下町は宣教師・ルイス・フロイスが著書「日本史」の中で「岐阜の賑わいはバビロンの如し」と讃えるほどであった。

初代の榎は嘉永5年(1852年)に枯れてしまったが。植え直された後に明治期の道路改修工事にあたって現在地に移植された。
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