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2019年08月25日15:49

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舟津神社

偶然見つけたので立ち寄りました

創建年代は古く、北陸一の古社と伝わる。崇神天皇の御代に四道将軍(しどうしょうぐん。古訓・よつのみちのいくさのきみ)の1人であった大彦命(おおひこのみこと)は勅令により北陸道に使わされて淡海(近江)から角鹿の津に赴いて八田という地に辿り着いた。舟場から乗船して東進していると途中で「塩垂の長」という長老の教えを受けて安伊奴彦の先導により深江という所に至った。

そして舟を付けた場所を船津と呼ぶようになった。その地の山に登ると先に消え去った長老と再び会ったためその山を「逢山(王山)」と呼ぶようになった。この長老の正体は猿田彦命(さるたひこのみこと)であり、その神示によってこの神を三太(御板)の神として山上に祀り、楯三枚を以って社形を成し国家安寧を祈って式内社・大山御板神社が創建された。

成務天皇4年(143年)、市入姫が勅令を受けて舟津郷に赴き大山御板神社に孝元天皇が合祀され、大彦命が舟津の地に勅祭されて舟津神社が創建される。「延喜式神明帳」に記載された式内社・船津神社はこの神社の事であると比定されている。丹生郡と今立郡に分かれて所載されているがこれは上宮が王山の上で下宮がそこから東に数町の所に位置して両郡の郡境とされる叔羅川(現在の日野川)が当時は王山の東を流れていたためとされる。

継体天皇元年(507年)に両社の神殿が再建されて王山山上の大山御板神社を上の宮、船津神社を下の宮と称すようになったが天元年間(978年〜983年)に下の宮で火災が発生し、上の宮の東境に小社を建てて遷宮した。寛仁3年(1019年)、下の宮で再度の火災があり上の宮に合祀された。応永23年(1416年)には社殿老朽化により下の宮を再建して相殿に上の宮を祀り、正中に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇を祀った。

中世は越前守護・斯波氏や朝倉氏の崇敬を受けて近世、社地は福井藩領であったが享保6年(1721年)に間部氏が鯖江藩主として入部して以降は祈願所となって鯖江藩の産土神として崇敬される。

寛保2年(1742年)に王山東200mの地から現在地に遷座となり古社地は現在地から東方300mの所の田地に小塚が残されて古宮と称している。明治8年(1875年)には県社となった。背後には国指定史跡の王山古墳群がある。

かつて上野の寛永寺にあった徳川将軍家ゆかりの石灯籠がここに移転されてました。
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