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2019年08月15日13:59

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清水古城

源頼光の6代孫にあたる頼兼がこの地に住んで清水五郎を称し、子の頼高から4代、約160年に渡って在住した。この頃に清水古城の原型があったと考えられている。

延文元年(1356年)、標高126mの清水山の山頂に林道兼が築城して6代・道忠に至るまで約200年ほど居城していた。その中で禅僧の夢想国師によって山腹に今も残る釣月院が開基されている。

天正年間には稲葉一鉄の側室父にあたる加納悦右衛門が城主であったが、不仲となった一鉄によって滅ぼされ廃城となった。一鉄は新たに平城の清水城を築城するにあたり、石垣などを移築するに留まらず、山を削って土を確保している。

昭和52年(1977年)、土採りが行われた際に200基を越える五輪塔が出土。中には応永2年(1395年)の銘が入った物があり、他にも人骨の残る蔵骨器(壺)が10点出土している。これらは中世墓地があった事を示しているとされる他、落城の際に戦死した者を葬った物であるとの説がある。五輪塔は釣月院境内に置かれているが、蔵骨器は釣月院で供養が成された翌日に忽然と姿を消したとされ今も発見に至っていない。揖斐川町歴史民俗資料館と名古屋市博物館は清水古城で出土したと伝わる蔵骨器をそれぞれ1点ずつ所有しているが、発見当時に撮影された写真のものとは形が異なっており詳細は闇の中である。

山の上なので眺めが良いです。
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