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2022年01月21日09:09

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民主対専制18〜20世紀以降の世界における独裁体制の事例

●20世紀以降の世界における独裁体制の事例

・ソ連共産党とスターリン
 ロシアでは1917年2月、立憲民主党を中心とした臨時政府が樹立され、圧政を続けたロマノフ朝は終焉を迎えた。同年10月、労働者・兵士が蜂起して臨時政府を倒し、ボルシェヴィキと社会革命党左派からなる革命政権が樹立された。レーニンを最高指導者とする新政府は、憲法制定議会の選挙を行い、農民を支持基盤とする社会革命党が第一党になった。だが、レーニンは選挙の結果を踏みにじり、1918年1月武力で議会を解散し、ボルシェヴィキの一党独裁体制を敷いた。議会制民主主義を否定し、武力で政権を奪うクーデターだった。ボルシェヴィキは、同年3月に共産党と改称し、共産党による集団独裁体制が確立された。
 こうして作られたソ連は、共産党による官僚独裁の国家となった。その中から独裁者ヨシフ・スターリンが登場した。流血の革命は、しばしば最後に強大な権力を持った独裁者が現れる。スターリンは、フランス革命の最後に登場したナポレオンに比せられる。ナポレオンは、自ら皇帝の座に就いた。スターリンは、自身をイヴァン雷帝になぞらえた。スターリンは、共産党幹部多数を粛清し、恐怖政治を行った。共産党の幹部には、ユダヤ人が多かった。スターリンは、彼らユダヤ人幹部を次々に粛清した。秘密警察と強制収容所、赤軍の諜報機関がスターリンの個人崇拝体制を支えた。
 スターリンの死後、ソ連共産党の内部でスターリン批判が起こった。個人崇拝の再発を避け、個人による恣意的支配を防止するため、集団指導体制が採られた。マレンコフ・フルシチョフ・ヴォロシーロフの三人によるトロイカ体制、ブレジネフ・コスイギンらによる党と政府の分掌はその例である。だが、スターリン批判は、絶対的な独裁者への個人的な批判に留まり、ソ連の体制への根本的な反省は行われなかった。

・ファシズムとムッソリーニ、そしてヒトラー
 ロシア革命後、西欧では共産主義革命の防止を目指す政治運動が起こった。
 イタリアでは、第一次世界大戦後、ベニート・ムッソリーニは、「結束」を意味するファシスト党を率いて、1922年に全土から4万人を動員し、ローマに進軍した。王政下において軍事的圧力によって内閣を倒したムッソリーニは、国王から首相に指名された。武力によって一党独裁体制を確立したファシスト政権は、言論・裁判・労働組合を監督下に置き、総力戦を効果的に行うための総動員体制を日常化した。
 ドイツは、イタリアと違い、第1次大戦後に君主制が廃止され、共和制に変わった。ワイマール共和国時代のドイツは、自由主義的な民主主義の国家だった。ワイマール憲法のもと、1932年の選挙でナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が第一党になった。33年、国会で全権委任法が可決され、ナチスは、一党独裁体制を確立した。議会制民主主義の正当な手続きによる合法的な過程を経て、一党独裁が生まれた。この点が、イタリアとは違う。
 34年、アドルフ・ヒトラーは大統領を兼任する総統に就任し、個人崇拝の体制が完成した。ヒトラーは、極端なナショナリズムを掲げ、ユダヤ人の排斥とドイツ民族の生存圏の確立、ヴェルサイユ体制の打破と再軍備等を唱え、ドイツ国民の大多数は、熱狂的に彼を支持した。ヒトラーは、破竹の勢いで周辺諸国への侵攻戦争を展開したが、英米ソ等の連合国の反攻を受け、最後は自殺した。
 イタリアのファシスト党とドイツのナチスが採った専制主義的な体制を、総称してファシズムと言う。ファシズムは、政治体制の原理から言えば、全体主義の一種である。その点では、共産主義に類似する。ソ連系の共産主義はマルクス=レーンン主義を掲げるのに対し、ファシズムはマルクス=レーンン主義を否定する。だが、政治的にはどちらも一党独裁体制を採り、経済的にはともに統制主義的資本主義である。対外的には、共産主義が階級に基礎を置くインターナショナリズム(国際主義)を標榜するのに対し、ファシズムは民族・国民に基礎を置くナショナリズム(民族主義・国民主義)を鼓吹する点が異なる。ただし、ソ連は、自国の利益の拡大のために国際主義を利用した。また、共産主義の実態は、共産党官僚が人民を支配する体制となった。ファシズムもまた政党の官僚が人民を支配する体制である点では、類似している。そして、ファシズムと共産主義は、ともに個人崇拝の独裁者を生んだことが共通している。

・中国共産党と毛沢東、さらに習近平
 シナでは、1949年(昭和24年)に中華人民共和国が建国され、共産党による実質的な一党独裁体制となった。共産党の支配下で、中国では6500万人もの犠牲者が出たといわれる。その惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものだった。毛沢東への個人崇拝が頂点に達したのが、文化大革命である。毛は革命の英雄というイメージを権力闘争に利用し、若者を洗脳して紅衛兵を組織し、彼らを扇動して、政敵からの権力の奪還を行った。1976年(昭和51年)に毛沢東が死去すると、文革派は粛清された。
 以後、中国では個人崇拝が再発しないよう、国家主席の任期を制限したり、国家主席の上位となる党主席を置かないなどの方策がとられて来た。だが、そうした規制をなくし、最大限の権力を獲得しようとしているのが、今日の習近平である。習近平は、終身独裁を可能にするように憲法を改正するとともに、個人崇拝、自己の絶対化を進めつつある。
 ソ連の共産主義の影響を受けた国では、独裁者が多く現れてきた。中国の毛沢東以外に、北朝鮮の金日成・金正日、ルーマニアのニコラエ・チャゥシェチェスク、カンボジアのポル・ポトらがそれである。彼らは独裁者の前例に学び、その独裁の方法をまねた。専制主義の国家で強大な権力を掌中にした指導者は、その維持・拡大のために、言論統制、情報管理、秘密警察、強制収容、拷問・殺戮等を行う傾向がある。

 次回に続く。

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