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2020年11月22日11:01

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仏教83〜日本仏教史の概要(平安時代まで)

●日本仏教史の概要

 次に、日本仏教の歴史の概要を述べる。

(1)縄文時代・弥生時代・古墳時代

 私は、日本文明の歴史を人類文明史の各段階に対応させて、次のように考えている。年代は大体の数字である。

第1期 日本文明の黎明期
 人類革命から日本文化の誕生へ 約3万年前〜前900年頃 岩宿時代〜縄文時代中期
第2期 日本文明の準備期
 日本の農業革命 BC900年頃〜AD3世紀頃 縄文時代後期、弥生時代
第3期 日本文明の形成期
 日本の都市革命と精神革命 3世紀頃〜1200年頃 古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代
第4期 日本文明の確立・熟成期
 上記の進展 1200年頃〜1868年 鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代
第5期 日本文明の発展期
 日本の近代化革命 1868年〜1945年 明治大正時代、昭和時代前期
第6期 日本文明の飛躍期
 新人類革命の推進 1945年〜現在 昭和時代後期、平成・令和時代〜21世紀

 詳しくは、拙稿「人類史の中の日本文明」をご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09c.htm
 日本文明は、縄文時代から独自の文化を創造してきた。また、弥生時代以降、大陸のシナ文明の影響を受け、その周辺文明として発達した。
 日本文明は、宗教的中核として、固有の宗教である神道を持つ。日本文明の黎明期に、神道の基盤となる部分ができた。その基盤とは、「かみ」に対する崇敬の念である。これは、宇宙・生命の根源的な力への信仰としてのアニマティズム(霊力信仰)である。この基盤から縄文時代にアニミズム(精霊信仰)が発生した。日本文明の準備期に入り、弥生時代になると、さらにその上に祖霊信仰が発達した。祖霊信仰は、シャーマニズムと重なり合うものである。アニマティズムを基盤として、アニミズムとシャーマニズムが融合して、神道が発達した。
 日本文明の形成期において、神道は外来の宗教から文化要素を摂取した。3世紀にシナ・朝鮮から渡来した儒教は、その後、日本の精神文化に長く影響を与えた。

(2)仏教伝来

 仏教が正式に日本に伝来した時期を、わが国の正史である『日本書紀』は552年(欽明天皇13年)としている。それより早い538年(宣化天皇3年)という説もある。
 当時、シナ文明は南北朝時代であり、朝鮮半島は高句麗・百済・新羅の三国に分かれていた。仏教は既に朝鮮諸国に伝わっており、百済の聖明王から日本に仏像や経典が贈られた。
 仏教が伝来すると、仏教を積極的に受け入れようとする崇仏派と、受け入れに反対する排仏派が対立した。崇仏派の代表は、渡来人系の蘇我氏、排仏派の代表は、物部氏だった。仏教の受容に関する対立は、豪族間の権力争いとともに激化し、蘇我氏の勝利に終わった。その後、仏教は本格的に受容された。
 用明天皇は、わが国の天皇で最初に仏教に帰依した天皇となった。その子である聖徳太子は、「十七条憲法」に仏教を敬うべきことを定め、『三経義疏』を著して、仏教への深い理解を示した。また、皇室が中心となって信仰する神道を根本とし、そのうえで仏教や儒教等を摂取するというわが国の基本的なあり方を打ち出した。
 飛鳥時代の仏教は、豪族を中心とするものだった。彼らは、氏族の祖先を祀る氏寺を建て、祖先崇拝の一環として信仰した。その後、大化の改新を経て、天皇を中心とする律令制国家が成立し、仏教は皇室から重んじられた。

(3)奈良時代

 奈良時代には、仏教は律令制国家における国家仏教として確立された。鎮護国家を目的として国営の寺院が多く建立され、また経典の写経と読誦が行われた。
 聖武天皇は、国の安寧と平和を願って、全国に国分寺を建立し、東大寺に大仏を建立した。遣唐使を通じてシナ仏教の諸宗派が伝えられ、南都六宗が成立した。三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・律宗・華厳宗の六つである。そこでは、仏教の学問的な研究が行われた。
 当時、わが国には、僧侶になるために必要な正式な受戒の儀式が伝わっていなかった。唐から鑑真が来日して、受戒が可能になり、東大寺等に戒壇が設けられた。

(4)平安時代

 奈良において、仏教勢力は政治に口を出すようになった。桓武天皇は、彼らの影響を避けるため、平安京に遷都した。
 唐に渡った最澄は、天台宗をはじめ禅、戒律等を学び、帰国後、比叡山に延暦寺を建立し、日本の天台宗を開設した。最澄は、シナから持ち来った大乗戒を授ける戒壇を比叡山に設けるよう朝廷に働きかけ、死後、その設立が認められた。比叡山は、天台宗の他に、浄土信仰、禅等も学ぶことのできる日本仏教の一大拠点となった。
 空海もまた唐に渡って密教を学び、帰国後、高野山に金剛峯寺、京都に東寺を建立した。空海の伝えた密教は大きな評判を呼び、貴族や僧侶らが学びに訪れた。最澄もまた空海に学んだ。空海は『十住心論』を著し、儒教、道教、部派仏教、大乗仏教を段階別に評価し、真言密教を最上位とした。
 密教は、加持祈祷を行って、現世利益を成就しようとする。それが貴族を中心に受け入れられ、平安時代の仏教の主流となった。
 平安時代中頃から、災害が頻繁に起こり、また貴族社会から武家社会への移行による戦乱が続いた。社会不安が増大する中で、末法思想が流行した。源信が『往生要集』を著し、極楽往生を願う阿弥陀信仰が普及した。
 平安時代後期には、天台宗に、現実の世界や人間の心がそのまま真理であり、迷いと悟りを同一のものととらえる本覚思想が現れた。鎌倉時代・室町時代に盛行し、他の宗派にも影響を与えるようになった。
 また、平安時代半ばに、仏教の側から神道を説明する仏主神従の本地垂迹思想が生まれた。これは、仏教が神道を包摂しようとする動きだった。

 次回に続く。

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