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2020年11月19日11:00

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仏教82〜日本仏教の特徴

●日本文明の宗教と思想の特徴

 仏教がシナ文明を経て朝鮮半島から伝来する前、日本文明には、独自の特徴を持つ宗教や思想が発達していた。その日本固有の宗教・思想の主な特徴は3点ある。
 第一は、多神教が高度に発達したものであることである。日本文明では、アニミズム・シャーマニズムを土台として、神道という固有の宗教が発生し、高度宗教に発達した。神道では、祖先崇拝と自然崇拝を行う。先祖や偉人、英雄等の人間を仰ぐ人間神を祀るとともに、海の神、山の神といった自然神を仰ぐ。人間と自然との間に隔てがなく、人間と自然が連続している。神とされるものは数多く、八百万(やおよろず)の神々といわれる。仏教がシナに伝来した時、日本文明には、こうした土着の宗教とそれに基づく思想が存在した。神道は仏教が渡来するとそれを受容して共存し、やがて融合した。
 第二は、天皇を民族の中心とすることである。日本文明では、神話に現れる皇室を中心とする国家が形成され、古代から今日まで継続している。日本では、神武天皇の国中が一つの家族のような国、世界中が一つの家族のような世界をつくりたいという建国の理想のもとに、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持って「まつりごと(祭事・政治)」に努めてきた。また、国民はこうした天皇の御心に応え、天皇をわが親のように慕い、天皇を中心として国民が家族のように結び合って生活してきた。神道では、天皇が皇室の祖先を崇敬し、また国民が皇室及び自身の祖先を崇敬する。そこに、天皇を民族の中心とする思想が発達した。
 第三は、人と人、人と自然の調和を重んじることである。日本人は、古くから米を主食とし、灌漑水田耕作を行ってきた。灌漑水田稲作は、集約的な労働を要する。そこで、米づくりを通じて、日本人に勤勉、正直、約束を守ること、団結心、協調性、合議、気配り、思いやり等の美質が養われた。それによって、日本人は人と人の和を重んじる精神を発達させた。また、米づくりには、水田だけでなく、川や森や海を守ることが必要である。こうして集約的灌漑水田稲作による米づくりを続けるうちに、日本人には、人と人、人と自然が調和して生きる生き方が形成された。また、その生き方に基づく宗教と思想が発達した。
 仏教は、以上の三つの特徴を持つ宗教や思想の発達した日本文明に伝来した。そして、最初は土着の神道と衝突したが、やがて共存し、融合しながら新たな発展をした。仏教と前後して朝鮮半島から儒教・道教も伝来した。神道は儒教・道教を摂取し、制度や理論を整備した。そうした神道と仏教の習合が進んだ。その結果、日本文明において、神道を中核として、仏教・儒教・道教という東洋の代表的な宗教が総合されることになった。また、仏教は神仏習合によって、神道化し、日本化した。それによって、インドの仏教、シナの仏教とは異なる日本的な仏教が形成された。

●日本仏教の特徴

 日本で発達した仏教には、主に次の7点の特徴がある。

(1)インド仏教ではなくシナ仏教を受容した
 日本文明は、6世紀に朝鮮半島経由で伝来したシナ仏教を受容した。伝来したのは、大乗仏教だった。また受容以降、1400年以上、日本仏教は漢訳仏典を聖典としてきた。この間、インドから渡来して、直接インド仏教を伝えた僧の例はない。インドへの旅行を企てた者はいたが、計画を実行し得た者はいなかった。また、一部に梵語の研究を行った者はいたが、その研究が日本の仏教全体に影響を与えることはなかった。それゆえ、日本仏教は、江戸時代末までシナ仏教を継承したものであり続けた。シナやチベット、東南アジア等では直接インドから仏教が伝えられたのとは、相違する点である。日本人がインド仏教やチベット仏教を直接学ぶようになったのは、明治時代以降である。

(2)シナ仏教の特徴の多くを引き継いだ
 先にシナ仏教の特徴を7点挙げた。日本仏教はその多くを継承している。すなわち、「現世志向が強く現実的・実利的な傾向がある」「解脱より脱俗と自然との一体化を目指す」「戒律を緩和して大乗菩薩戒を生んだ」「仏性を植物や無生物にも認める」「家族的道徳を取り入れた」の5点である。これらのうち、特に戒律については、最澄が戒律の緩和をさらに進め、小乗戒を捨てて、大乗戒を独立させた。親鸞は肉食妻帯して、戒律の重要要素を否定した。さらに明治政府が僧侶の妻帯を認めたことにより、戒律はほとんど空無化した。
 シナ仏教から継承した残りの2点のうち、シナ文明では「政治的な価値観と合う部分のみが受容された」という点は異なり、日本では、奈良時代から仏教は国家仏教として定着し、以後、国家権力と強く結びついて発展した。また、「新たな世界宗教に成長した」という点については、江戸時代まで日本仏教が海外へ伝わることはなく、日本仏教が仏教の持つ世界宗教としての性格をさらに発達させたとは言えない。

(3)神道と共存し、融合した
 日本文明は、宗教的中核として神道を持つ。仏教は、神道と共存し、融合しながら、日本の文化の一要素となった。神道は地縁・血縁などで結ばれた共同体を守ることを目的に信仰されてきた。これに対し、仏教は個人の安心立命や魂の救済を求める目的で信仰される。この点が大きく相違する。神道と仏教が共存することにより、共同体の祭儀と個人の精神的な救済が両立し得た。こうした共存関係において、仏教は神道と習合して神道化し、日本化した。
 仏教は、21世紀の現在においても、日本文化の重要な要素として活動している。

(4)祖先崇拝の重視に転換した
 わが国では、仏教は伝来の時点から祖先崇拝の一環として受容され、以後、祖先崇拝を行う神道と融合してきた。それによって、仏教は、日本で先祖供養中心の神道的な仏教へと変化した。
 仏教は、インド特有の輪廻転生の観念に基づき、輪廻の世界からの解脱を目指す。だが、シナで輪廻転生の観念が後退し、日本では輪廻転生の論理がさらに後退した。「仏」は、仏教では、もともと覚者(ブッダ、悟りを得た者)という特別の境地に達した者を意味する。ところが、日本では凡夫まで死ぬと「ほとけ」と呼ばれる。これは、祖霊を神として祀る神道の風習による。

(5)呪術を重視する
 インドの初期仏教では、呪術は禁止されておらず、仏教はその後、呪術的な要素を持ち続けた。
 日本に仏教が伝来した際、人々は新しい異国の神である仏像が、災厄の防止や幸福の増進にどの程度、効果があるかに関心を向けた。その後、仏教は、積極的に呪術を行ない、読経や加持祈祷等による功徳を強調した。密教にその傾向が強いが、日蓮宗にも同様の傾向がある。現代においても、仏教的な呪術は重要な役割を演じている。ただし、浄土真宗は呪術を排斥している。

(6)国家権力との結合が強い
 シナ文明では、仏教と国家権力が結びついた時代や王朝はごく少ない。だが、日本では、日本に仏教が伝来した時、天皇への贈り物として、百済の王から仏像と経巻が届けられ、それらは皇族や貴族の用にあてられた。日本の仏教は、社会の下層からではなく、社会の最上層から始まった。
 仏教は、飛鳥時代から国家権力と結びつき、奈良時代に国家仏教が確立した。これは、天皇が神道の祭儀を執り行いつつ、仏教に帰依したことによる。皇室は、神道と仏教を共に信仰してきている。僧侶は、当人の自発的な意志による出家ではなくて、仏教的な儀礼を行う国家公務員の役職として設けられた。平安時代・鎌倉時代・室町時代にも、僧侶と国家権力の結びつきが様々な形で繰り返された。国家権力から仏教と国家権力の結びつきは、江戸時代に頂点に達した。仏教は、本末制度と寺檀制度によって、幕府の人民統治の機構として機能した。明治維新によって、その関係はなくなったが、現在まで仏教と皇室の関係は続いている。
 こうした由来と歴史を持つため、日本の仏教には、多くの場合、権力者や富裕者と密接な関係を持ち、その保護を受けて活動するという受動的な体質がある。

(7)葬式仏教と化した
 本来、仏教は葬儀に関わるものではなかった。ところが、わが国では、鎌倉時代に仏式の葬儀方法が作られ、庶民の間に広がった。徳川幕府が寺檀制度を定めると、必ず仏式の葬儀を行わなくてはならなくなり、戒名も授けられた。これによって、葬儀は仏式で行うという慣習が確立した。明治時代以降、僧侶の妻帯が普及し、僧職が世襲となったことが加わり、仏教は葬儀と法事、墓の管理を中心とする葬式仏教と化した。それによって、信仰の形骸化が進んでいる。

 次回に続く。

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