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2020年07月28日10:09

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仏教33〜仏の三身説、弥勒菩薩、無我説

●仏の三身説

 釈迦の超人化・神格化の結果、仏の三身説が成立した。これは、仏を法身(ほっしん)・報身(ほうじん)応身(おうじん)の三相で考える説である。
 法身は、永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえた仏のあり方である。法身仏とは、法そのもの、永遠不滅の真理であり、釈迦の本体である。『法華経』の久遠の本仏は、法身仏であり、『華厳経』の毘盧遮那仏、『大日経』の大日如来もそうである。
 報身は、過去の修行によって成就した仏のあり方である。報身仏とは、修行の結果、願を成就して仏身を得たものである。すでに自ら仏となりながら、さらに衆生済度(しゅじょうさいど)のために様々な姿を取って利他の働きを行ずる諸仏をさす。済度とは法を説いて迷いから救って、悟りを開かせることをいう。阿弥陀仏または阿弥陀如来、薬師仏または薬師如来は、過去の修行によって仏となり、一切衆生の救済者となった報身仏とされている。菩薩ではなく仏陀である。
 応身は、仮に相手に応じて出現した仏のあり方である。応身仏とは、衆生を救うために、仏が如来や菩薩等の種々の姿を取って権(仮)に現れたものである。法が人格化した存在であり、歴史上に出現した釈迦は、これとされる。仏の化身であり、権現と呼ばれる。
 仏の三身説もまた明らかにヒンドゥー教の影響である。法身仏は、ヒンドゥー教におけるブラフマンに相当する。ヴィシュヌはブラフマンと同一とされるから、法身仏は、ヴィシュヌにも当たる。法身仏と応身仏の関係は、ヴィシュヌとその化身に対応する。ヴィシュヌの第9番目の化身が、ゴータマ・ブッダとされている。
 ヒンドゥー教では、実在した人間と考えられるクリシュナが超人化され、神の化身とされた。釈迦は紛れもなく実在の人物だが、その超人化・神格化には、クリシュナの場合と似た展開が見られる。その一方で、違いもある。クリシュナは軍人の英雄が民衆によって神格化され、神の化身に祀り上げられたのに対し、釈迦は修行によって悟りに達した覚者が仏の応身とされている。
 このことに関連して、釈迦が原型となって過去の諸仏や菩薩等が生み出されたことについても、修行の実践による悟りという体験が不可欠である。ヒンドゥー教の化身は神の現れであるから、修行によって悟る必要がない。そのうえ、魚、亀、猪など人間ではない動物が、神の化身とされている。こうした動物が修行して悟ったのではない。
 なお、仏教には、ヒンドゥー教にはない報身仏があることも、特徴の一つとなっている。

●弥勒菩薩

 ヒンドゥー教は、釈迦をヴィシュヌの第9番目の化身とする。また将来、第10番目の化身カルキが現れると信じられている。この未来の救済者の観念が仏教に影響したものと考えられるのが、弥勒菩薩である。
 弥勒は、マイトレーヤの音写による漢訳である。現在、兜率天で修行中の菩薩であり、釈迦入滅の56億7000万年後に、この世に下生して、釈迦の救いに洩れた衆生を救済すると信じられている。弥勒信仰では、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が下生するまでの間は無仏の時代であり、誰も悟りに至れる者は現れないと予想されている。
 マイトレーヤの名は、ヴェーダの宗教の神ミトラと似ている。ミトラは、先の項目に書いたように契約神・軍神・太陽神とされ、特に歴代のペルシャ王朝で国家の守護神として崇拝された。ゾロアスターの宗教改革後も、民衆の間でミトラ信仰が続き、ミトラを太陽神・光明神にして万物の豊穣を司る神と仰ぐミトラ教が現れ、紀元前1世紀からローマ帝国に伝わった。インドでも、民衆の信仰を集めた。このミトラ教のミトラが仏教に取り入れられ、マイトレーヤすなわち弥勒菩薩となったと考えられる。ミトラ教には、ゾロアスター教から受け継いだ未来の救世主の思想があり、これとヒンドゥー教のカルキの観念が結合し、仏教の菩薩となったものだろう。
 弥勒菩薩は、実在の人物が理想化されたものという説がある。釈迦の弟子でアジタというバラモン出身の出家者の伝説がもとになっている。弥勒信仰は、紀元後3世紀半ばまでに形成され、一時は盛んだったと見られる。インドには、多くの弥勒像が残っている。また、弥勒三部経と呼ばれる『弥勒下生経』『弥勒大成仏経』『弥勒上生経』が作られた。

●大乗仏教の無我説

 釈迦は、自我を現象としては認めるが、それが恒常不変のものではないことを示して、現世への執着を捨てさせ、涅槃寂静という目標を明確にして修行に専念させようとした。これが釈迦の無我説の主旨と私は考える。
 仮に自我はそれ自体で存在する実体ではなく、恒常不変の本質を持たないとするとしても、自我の存在を全く認めないならば、因果応報の主体がなくなる。行為をする者とその結果を受ける者との同一性が成り立たない。また、輪廻転生をする主体もないことになる。だが、輪廻転生する霊魂を認めないならば、解脱を目指す必要もなくなってしまう。死んだら身体の消滅とともに、五蘊が消散し、精神(我)も消滅するという唯物論的な考え方を排除できない。
 この難問を解決するために、大乗仏教はアートマン(我)としての自我を全く否定する無我説を説きつつ、自我に替わるものを打ち出す思想を発達させた。それが空の思想と唯識説である。

 次回に続く。

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